2019.08.10 岐阜滋賀北陸旅1日目(4) 岐阜公園周辺・岐阜城 [国内旅行]
岐阜の善光寺から自転車を走らせて寺町へ。
お寺の中でも、何だか建物の雰囲気が違うところに立ち寄ってみた。
本堂に入ってみると、大仏。通称・岐阜大仏。
ここは黄檗宗の正法寺。江戸時代前期にお寺が建てられ、大仏が作られたのは江戸時代の後期になってから。1794年に頭部ができて、完成して開眼供養が行われたのは1832年である。
大仏の断面はこのようになっている。
高さ13.63m、顔の長さ3.63m。
大仏が堂内の真ん中に鎮座していて、壁側には五百羅漢が置かれている。
これらは江戸時代中期の作品という。
岐阜大仏・正法寺の御朱印は、書置きの紙でいただいた。
長良川を渡って、次に向かった場所は崇福寺。
臨済宗のお寺(妙心寺派)のお寺ということで、枯山水の庭園が整えられている。
1511年の創建で、織田家の菩提所として、江戸時代は徳川家の御朱印を受け、当時の皇室の有栖川宮家の祈願所でもあった。
本堂裏手に織田信長と信忠父子の廟所と位牌堂が置かれている。
崇福寺でいただける御朱印は3種類あって、そのうちの2種類を今回いただいた。
日付を入れていただけないお寺がある中で、ここは日付を入れていただいた。
崇福寺から自転車で20分ほど移動して長良天神神社へ。
創建年代不明だが、鎌倉時代に美濃国目代だった斎藤氏が氏神だった天満宮を美濃国各地に勧請したのが始まりと伝えられていて、この神社もその一つだったそうである。
度重なる水害で、古い記録が残っておらず、近年では伊勢湾台風の水害で被害を受けている。
境内には稲荷神社も置かれていて、鳥居が何本も連なっている。
長良天神神社の御朱印。
長良川を渡って岐阜公園へ。
山頂に岐阜城が見える。
17時過ぎに岐阜公園で自転車を返却。自転車を借りたところと違うところで返却できるのはありがたい。
夏休み期間中ということで、この日は21時まで岐阜城の近くまで行けるロープウェイが営業している。だが、ロープウェイの山頂駅近くのリス園は、普段通り16時半で営業を終了してて、中を見ることができなかった。
ロープウェイの駅から岐阜城までは道が整備されている。
岐阜城が近くに見えてきた。
後でも書くが、通常は行きは左の道から進み、帰りは右の道から戻ってくるが、去年の台風の被害だか右側の道が通れなくなっている。
岐阜城の天守閣が目の前に見えてきた。
鎌倉時代に砦が築かれて、斎藤道三によって稲葉山城として整備され、後に織田信長によって岐阜城と改められたが、関ヶ原の合戦前に廃城となり、江戸時代は岐阜駅南口にあった加納城が拠点となった。現在の天守閣は、戦後に再建されたもの。
天守閣も夜景を見られるように夏季限定で21時まで営業。
中はさほど多くはないが、刀剣などの資料展示あり。
18時過ぎに岐阜城天守閣の展望階から濃尾平野を眺めた。
日没前で市街西側が眩しい。
この日の昼間は本当に暑くて、岐阜市内は最高気温が38度を超えたようだが、この時間にお城から眺めていると涼しい風が流れていて、長居したくなるぐらいだった。
日本100名城のスタンプは天守閣ではなく、天守閣から階段を下りた資料館に置かれている。
前回、岐阜城を訪問した時にそれに気づかないでロープウェイで下りてしまって、再度山を登るという最悪な事態を経験したが、今回はそれが再度起こらないよう意識していたので、資料館で確実にスタンプを押してから、ロープウェイで岐阜公園に戻った。
岐阜公園で板垣退助にご挨拶。
岐阜駅まではバスで戻り、岐阜駅で金ピカの織田信長に挨拶して、岐阜を後にした。
この後、大垣駅で荷物をピックアップして、駅の中のサイゼリヤで夕食をとって、宿泊地の滋賀県の能登川へ。能登川に到着したのは、大垣を出てから40分後だった。米原で乗り換えだったが、意外と近いもんだな。
次のページから旅2日目で、滋賀県を回ります。
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