2019.10.26 京急沿線御朱印めぐり(1) 金沢八景から新大津まで [国内旅行]
京急電鉄の株主(と言っても最低の100株だけだが)になって、初めて株主優待乗車券を2枚もらったので、京急の電車に乗って日帰りで出かけることにした。
1枚につき1乗車しかできないので、向かった先で何かできないか考えたところ、向かった先で京急の電車とバスが1日または2日乗り放題のフリーきっぷがあることを知って、それで1日廻ることにした。
朝7時過ぎに地元の駅を出発。前日の台風並みの大雨が嘘みたいに澄んだ青空で、雪をかぶった富士山がよく見える。
8時過ぎに品川を出発する快速特急の三崎口行きに乗車。座席は進行方向に向いた車両で、快適な移動。
写真は多摩川を渡って京急川崎駅に到着するところ。
ここからも富士山がよく見えるが、河川敷は先日の台風で水が多く流れた跡が残っていて、見た目が全然良くない。
8時45分に金沢八景に到着して下車し、株主優待乗車券は1枚改札機に回収された。
今回乗った車両は2100系の色違い(青)のデザイン。
数年振りの金沢八景駅である。
前回は駅の改札が地上にあったが、今回は上まで上がらないといけないのが面倒である。
金沢八景駅の近くにある瀬戸神社に参拝。国道16号線に面している。
1180年に源頼朝が三嶋大社を勧請して建てたのが始まりという由緒ある神社。
現在の社殿も1800年に再建されたものである。
扁額を見てびっくり。
内閣総理大臣 小泉純一郎 謹書となっているのには驚いた。
金沢区って、横須賀市と衆議院の選挙区同じでしたっけ?
瀬戸神社から国道16号線を挟んで、琵琶島神社がある。
こちらは源頼朝の妻・北条政子が竹生島弁財天を勧請したものとされている。
この辺りは確かに西側の山を越えれば鎌倉なので、鎌倉文化の影響を受けている場所のようである。
社殿の向こう側には金沢八景に面した海が広がっていた。
金沢八景から「三浦半島1dayフリーきっぷ」(1100円)で移動。
まずは電車で1駅の追浜(おっぱま)で下車。
ここは普通しか止まらないが、電車からかなりの乗客が下車した。ここから先は横須賀市である。
追浜駅から金沢八景に戻る方向に歩いて5分ほどの雷神社へ。
平安時代前期の931年創建で、1581年に今の場所に移されたという。
古くは雨乞いの神事が行われていたという記録もあるのだとか。
銀杏の木は樹齢500年を超えるようだが、今年は台風の影響だからか葉が黄色くなる前に大部分が落ちてしまっていた。
瀬戸神社と雷神社の御朱印。
瀬戸神社に参拝した時、9時前だったからか書き手がまだ来ておらず、書置きの紙でいただいた。
追浜から再び電車に乗って、次に下車したのは汐入。
この区間はバスも1時間に3本程度は出ていて、フリーきっぷでも乗れるので、車窓をのんびり眺めたいならバスでもいいかも。
汐入駅から歩いて数分の諏訪大神社(すわおおかみしゃ)へ。
目の前にホームレスと思われる人が路上で寝ているのを気づかずに撮ってしまった。
坂を上がるとここから階段を進む。
左の壁に英語で「米軍とその関係者の立ち入り禁止」と書いてあるところが横須賀らしい。
諏訪神社って、長野の本宮を除いて階段の多い印象がある。
長崎の諏訪神社がその典型だが、横須賀も坂の多い地形が関係して階段が多い。
左に猿田彦大神、右に諏訪大神の石碑。
室町時代の始まり頃に領主の三浦氏が諏訪大社を勧請したのが始まり。
こう見ていると、横須賀の歴史がここに詰まっているようで、歴史は面白い。
御朱印は社務所脇の階段を降りたところにある宮司宅で書いていただいた。
英語で書かれた店が続いているのも横須賀の街の特徴。
横須賀中央駅まで歩いて移動した。
横須賀はジャズの街でもあるみたい。
機会あるときに、テーマを変えて横須賀の街を歩いて見たいものである。今回は神社の御朱印巡り。
次に参拝したのは横須賀中央駅近くの諏訪神社。
あれ? 歩いて行ける距離にまた諏訪神社?と思ってしまう。
1573年に諏訪大社から勧請という記録がある。
当時は漁村で海の守り神の役割があったが、明治以降は軍港建設で街の様子が変わり商業の神様としての信仰を受けているとのこと。
横須賀中央駅から堀内方面のバスに乗り、大津1丁目で下車。
10分ほど内陸側に歩いたところにあるのが大津諏訪神社。
横須賀市内で諏訪神社参拝が3社続く。
824年に諏訪大社から勧請ということで、横須賀の3社の中では歴史が一番古い。
1本だけだが、御柱も立てていた。
横須賀市内で参拝した3社の諏訪神社の御朱印。
2社目に参拝した若松町の諏訪神社だけ書置きの紙での対応だった。
この後、堀ノ内からバスで観音崎、浦賀、久里浜方面へ。
横須賀市内の御朱印巡り後半に入ります。
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