2019.10.26 京急沿線御朱印めぐり(2) 堀ノ内から京急久里浜まで [国内旅行]
大津諏訪神社から次に向かった神社は、少し戻るような形で春日神社へ。
京急電車の新大津駅まで移動して、1駅横須賀方面に移動して堀ノ内駅で下車して歩いて向かった。
平安時代に、藤原氏の荘園があった関係で奈良の春日大社から勧請して猿島に創建したそうである。明治に入って猿島が軍用地になったために現在の地に移動したとのこと。
参拝したときに、ちょうど七五三の神事が行われていたが、奥様に対応していただいた。
春日神社の前から観音崎行きのバスが1時間に何本も出ていて、ちょうどバスが来たので乗って移動。馬堀海岸あたりから東京湾の海岸沿いを走り、15分ほど乗って走水神社で下車。
創建年不明の神社だが、古事記にすでに走水という地名が出ていて、房総半島に渡る拠点でもあったようである。祭神は日本武尊とその后。
社殿前から東京湾を一望できる。
対岸は千葉県の君津の製鉄所だろうか。
御朱印はかなり丁寧に書いていただけるようで、私がお願いしたときに前に数組待っている状態だった。あと、御朱印対応は午後3時までとなっている。
春日神社と走水神社の御朱印。
走水神社から観音崎行きに乗って終点で下車すると、ちょうど次に乗るバスが来たのですぐ乗り換え。観音崎から房総半島を眺める余裕がなかった。観音崎バス停から浦賀方面の乗って鴨居で下車。
鴨居にある八幡神社を参拝した。
1181年に源頼朝の命を受けた三浦氏が鶴岡八幡宮を勧請して創建したのが始まりという。
御朱印は社務所不在でいただけなかったが、久しぶりに神社にいるネコちゃんに遭遇。
近寄ると逃げてしまうタイプだが、神社にいるネコちゃんは見ているだけでもいい。
鳥居前から東京湾を眺められる。対岸は房総半島。
鴨居から次の場所へ行くバスが10分間隔であるということもあり、時間を気にせずに鳥居脇の料理屋で昼食をとった。おすすめ海鮮丼(カンパチ、あじ、キンメ、シラスが乗って1100円)は美味かった。
鴨居から浦賀方面のバスに乗って新町(しんちょう)で下車。
歩いて次の神社に向かっていると、防災時に使用する井戸がいくつも残っている。
歩いて向かった先は東叶神社。
裏山は浦賀城の跡にもなっている。
叶神社として1181年に京都神護寺の僧によって創建され、江戸時代に現在の西叶神社から分かれて東叶神社が建てられたという。
社務所前にネコちゃんがいて、みんなになでなでされていた。
この先は城跡だが、階段がきつくて今回は登る気になれなかった。
次の西叶神社へ向かうには渡し船「浦賀の渡し」を利用するのが便利。料金200円。
浦賀の湾内を5分とかからずに渡り、対岸へ移動した。
対岸に到着し、東叶神社側を眺めたところ。
渡し船からすぐの場所にある西叶神社へ。
東叶神社もそうだが、神社入口の石碑はどちらも「叶神社」となっている。
神社創建の経緯は東叶神社の通り。
こちらが元からある叶神社のようである。分かれた理由は、江戸時代に村が湾を挟んで分けられた為である。
東西の叶神社の豪快な御朱印。
はさみ紙も東西でわずかに違うので、御朱印巡りの際は両方の神社を尋ねないと意味がなさそうだ。
京急久里浜駅までバスで移動し、次に向かったのは久里浜八幡神社。
720年創建とのことで歴史が古い。
御朱印は残念ながら社務所不在でいただけなかった。
社殿の天井画が1881年の作品とのことだったが、中を見ることができなかった。
京急の線路を挟んで海側にあるのが久里浜天神社。
撫で牛が大きいこと。
撫でてご利益を得たいものである。
歴史は意外と浅く、1660年に大阪で財を成した福井の商人が大阪の福島天満宮から勧請して創建したのが始まりという。三浦半島では菅原道真を主祭神とした神社は唯一ここだけというのも意外である。
久里浜天神社の御朱印。
七五三のイベントの準備で忙しい中、書いていただいた。
この後、京急久里浜から再び電車で移動して三浦市へ。
日帰り御朱印巡りの締めくくりに入ります。
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