2019.11.03 奈良京都旅3日目(2) 飛鳥めぐり 前半編 [国内旅行]
高取町の土佐街道で高取城のスタンプを押して、御城印を買った後、歩いて飛鳥方面へ。
この辺りはのどかな農村地帯。
土佐街道から1kmちょっと歩くと、明日香村に入って古墳の周りに広がる公園の中に入る。
最初に立ち寄った古墳はキトラ古墳。
7世紀末から8世紀初頭に造られたと言われている。
石室があって、天井には天文図、壁には東西南北の四神(青龍、白虎、朱雀、玄武)や、時間や方位を司る十二支が獣頭人身の形で描かれていて、その一部が残っていた。
修復の上で近くの資料館で暗室で保存公開されている。年に何度か特別公開しているので、その時期に機会があれば見に行きたいものである。
キトラから飛鳥駅までバス移動。
近鉄のフリーきっぷの対象区間だが、1-2時間に1本程度と本数が少ない。
飛鳥駅からレンタサイクルの旅を予定していたが、借りる予定のところが全て出払っていると言われ、途中の別の営業所までバスで移動することにした。飛鳥は自転車で巡るのがかなり定着している感じ。
バスで1つ移動して、少し歩いたところにある高松塚古墳。
外見は周辺あちこちで見られる古墳だが、ここが一躍有名になったのは石室の中に壁画が綺麗に残されていたこと。これを模写したものがそばの資料館に展示されている。
天井に天文図、壁に四神が描かれていたのはキトラ古墳と同じだが、この石室には十二支ではなくて男子群像、女子群像が描かれている。
天皇陵とする説もあるようだが、それなりの地位の人が葬られたところである事には間違いない。
高松塚古墳のバス停そばにある資料館にて。
漫画家の里中満智子さんが描いた持統天皇。
バスの車窓から天武天皇・持統天皇陵。
天武天皇は、天智天皇の皇太子・大友皇子と争った内乱で勝ち取って天皇になり、持統天皇は天武天皇の皇后でもある。夫婦で同じ陵墓に祀られている。
亀石の近くでやっと自転車を借りることができた。
川原寺の跡。
飛鳥の四大寺の一つとされていて、都が飛鳥から奈良に移った後もそのまま残って、平安時代からは真言宗の寺院となったものの、1191年に焼失したという。
川原寺は同じ真言宗の弘福寺が受け継いでいる。
写経道場となっているが、川原寺が673年に日本で最初に写経を始めた場所とのこと。
川原寺の境内にかつてのお寺があった頃の石が残っている。
手で触ってパワーを感じたい。
川原寺と弘福寺の御朱印。
川原寺の向かいの少し高いところにあるのが橘寺。
境内の二面石。飛鳥時代の石造物とされ、人の心の善悪二相を表しているようである。
橘寺は、欽明天皇の別宮があったところで、ここは聖徳太子生誕の地。
ここで聖徳太子が仏典の講義を行い、のちに推古天皇の命で聖徳太子が建てたのがこのお寺。
現在のお堂は1864年に再建されたもの。
橘寺でいただいた御朱印はこの2種類。
橘寺から緩やかな上り坂を進んで石舞台古墳へ。
飛鳥を代表する古墳の一つということで、観光客が絶えない場所である。
元々は盛土に覆われて石室が見えなかったようだが、長い間に盛土が流されて石室が丸見えになったという。
石室の中にも入ることができる。
壁画が描かれていたかどうかは分からないが、整備された状態。
聖徳太子の時代に活躍した蘇我馬子の墓とする説が最有力だが、盗掘に遭って残っていないことから今も断定できていない。
昼食とってないので、石舞台古墳近くの休憩スペースでソフトクリームを食す。
自転車も置けて、いろいろなものを食べられるのでここは休憩におすすめ。
この後、岡寺、飛鳥寺を通って橿原神宮前駅まで向かいます。
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