2021.06.26 上野公園 西郷像から上野東照宮まで歩く [国内旅行]
6月最初の週末に新潟に行った話は前のページでも書いた通りである。
次の遠出の予定は7月まで無いため、日帰りで出かけた話を1つはさんでおきたい。
地元から電車で1時間以内でありながら、なかなか足を運べないところ。それが東京の上野公園周辺で、以前から行こうとは思っていたが、なかなかタイミングがなくて、今回ふと思いついて行ってみることにした。
京成電車で上野に到着し、まずは西郷さんにご挨拶から。
西郷隆盛の像の後ろにあるのは彰義隊の墓。
徳川慶喜に仕え反幕府の官軍と戦った人たちが最後に上野で衝突して多くの人が亡くなったという。
今後、渋沢栄一の大河ドラマでも出てくるのだろうか。
彰義隊の墓の西側にある清水観音堂へ。
1631年に天海大僧正によって創建され、後に現在の地に移築。
京都の清水寺を模して作られたと言われている。
清水観音堂で御朱印帳を購入して書いていただいた。
現在は、ここの御朱印帳を購入した時にしか書いていただけず、その他の場合は書置きの紙にての対応となる。
清水観音堂で上野大仏とパゴダの薬師如来の御朱印も書いていただいた。
清水観音堂から階段を下りたところに広がっているのが不忍池。
この時期はハスの葉で池が一面覆われていた。
その不忍池に島をつくり、弁財天を祀るお堂(不忍池弁天堂)を建てたのも天海大僧正。
琵琶湖に浮かぶ竹生島をモデルにし、弁財天も竹生島の宝厳寺から勧請したもの。
不忍池弁天堂でいただいた御朱印。
境内にもう一つある大黒天が祀られているお堂の御朱印もいただけた。
次に向かったのは五條天神社。
日本武尊が東征の際にこの地に2つの神様を祀ったのが始まりとされていて、後に天神さまも祀るようになったという。
境内の建物に伊藤博文による扁額が掲げられていた。
五條天神社に隣接してあるのが花園稲荷神社。
五條天神社は長い歴史の中で移転を重ねているが、この地に元々あったのは花園稲荷神社の方である。
「花園」となっているのは、寛永寺の花畑がこの地にあったそうで、そこから名付けられているとのこと。
五條天神社で花園稲荷神社も含めて御朱印をいただけた。
花園稲荷神社の方はシール式。
上野大仏。現在はこのように顔しかない。
江戸時代に造られ、大仏殿まであったが明治に入って大仏殿は取り壊され、大正時代の関東大震災で首が落ち、太平洋戦争で体の部分が供出されるという悲しい過去を経ている。
大仏のそばには、薬師如来を祀っているパゴダがある。
上野大仏とパゴダの御朱印は清水観音堂でいただける。
次に向かったのは上野東照宮。
参道に石灯籠がいくつも続いているが、ほとんどが現在の社殿が建てられた1651年に諸大名によって奉納されたもの。
参道を歩いていると寛永寺の五重塔が残っている。
今は寛永寺から離れて東京都の管理下にある。
銅の灯籠も多く置かれている。これらも諸大名によって奉納されたもの。
金ピカの社殿には驚いた。
唐門の前までは誰でも参拝できるが、中の拝殿を見るには500円を払って入ることになる。
入場料を払うなりの金ピカぶりがすごすぎる社殿だった。
元々は藤堂高虎天海大僧正によって寛永寺の境内に徳川家康を祀る神社として建てられ、1651年に徳川家光によって現在の金ピカの社殿に建て替えられたという。
上野東照宮の御朱印は全て書置きの紙で用意されていた。
東照宮を抜け、入場待ちの列ができている上野動物園を通り過ぎ、東京国立博物館の方角へ。
この後、寛永寺根本中堂などを参拝後、入谷の方角に出ます。
続きは次のページで。
コメント 0