2019.05.18 静岡の城・御朱印めぐり1日目(3) 諏訪原城・高天神城 [国内旅行]
今回の城めぐりで、初めて茶畑が広がる牧之原台地を進む。
茶畑の中に森に囲まれたところがあって、ここが諏訪原城の跡。
駐車場の前にちょっとした資料館があって、ここで続100名城のスタンプを押した。
城跡の遊歩道に沿って進む。
手前の茶畑がある辺りも城跡だったのだろうか。
1573年に武田勝頼によって築かれた城のお堀は、かなり深い。
諏訪原城の中で、唯一復元された建物がこの二の曲輪北馬出の門。
二の曲輪跡。
本曲輪。この先は断崖絶壁になっていて、後ろ堅固の城である。
城跡から麓に金谷の街並みが見える。
左右に流れているのは大井川。
武田勝頼の母は諏訪氏の出ということで、城内に諏訪神社が置かれている。
築城2年後に徳川家康によって陥落され、その後は武田氏に対抗するための城として残っていたが、武田氏の滅亡後に廃城になったという。
次の城に向かう途中で、事任(ことのまま)八幡宮に立ち寄った。
遠江国一宮である。
境内には立派なクスノキ。
平安時代の初期には存在していた神社で、枕草子にも登場する神社だという。
八幡宮を名乗るようになったのは、源頼義が石清水八幡宮を勧請してから。
事任八幡宮で御朱印をいただいた。
そして、掛川の高天神城へ。
よく見ると、ニワトリが放し飼いされている。
本丸までは道が整備されている。
しかし、二の丸へ向かう道が通行止め。こちらへ行くのは断念した。
本丸跡には小さな神社が置かれている。
築城年は不明だが、16世紀初頭は今川氏の家臣の福島氏の居城だったという。後に小笠原氏が城主となり、今川氏が衰えると徳川氏につき、武田勝頼によって攻め落とされ、更に徳川氏によって逆に落とされて廃城になるという歴史を辿っている。
城跡からの眺め。
ここも周辺は茶畑ばかりである。
高天神城の続100名城のスタンプは、登城前に大東北公民館で押した。
登城前に公民館を訪問して情報収集してから城に行くことを勧めたい。
掛川のホテルに向かう途中、菊川の「さわやか」で夕食。
17時少し過ぎてお店に入ったが、それでも15分ほど待つ。静岡で人気のファミレスということで、ピーク時間には何時間も待たせると聞いていたので、この時間の到着で助かった。
げんこつハンバーグごちそうさま。
宿泊は掛川。
部屋の窓からライトアップされた掛川城の天守閣を見ることができた。
次の日は掛川城からです。
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