2021.06.26 上野公園 西郷像から上野東照宮まで歩く [国内旅行]
6月最初の週末に新潟に行った話は前のページでも書いた通りである。
次の遠出の予定は7月まで無いため、日帰りで出かけた話を1つはさんでおきたい。
地元から電車で1時間以内でありながら、なかなか足を運べないところ。それが東京の上野公園周辺で、以前から行こうとは思っていたが、なかなかタイミングがなくて、今回ふと思いついて行ってみることにした。
京成電車で上野に到着し、まずは西郷さんにご挨拶から。
2021.06.06 中上越旅2日目(4) 直江津から長野まで在来線で [国内旅行]
新潟旅2日目の最後は直江津から長野まで在来線での移動旅。
まずは直江津駅からスタート。
時間があれば、駅の向こう側のSLや古い電車が展示されているところに行ってみたかったのだが、それはまたの機会に。
2021.06.06 中上越旅2日目(3) 春日山城 [国内旅行]
高田の街を後にして、次に向かったのは春日山。
春日山城ものがたり館で日本100名城のスタンプを押印。
ここは春日山城の本丸から離れたところにあたるが、堀と土塁をめぐらせた総構が造られたところ。
ものがたり館から少し山側に進んだところに神社。
平安時代に奈良の春日大社から勧請して創建した春日神社である。
地名やお城の名前にもなっている春日山の春日は、この神社から来ている。
6年ほど前にも日本100名城めぐりのついでに参拝し、神社の御朱印を最初にいただいたのもこの春日神社だったと記憶する。当時も今も書き置きの紙であることには変わりないが、社殿が新しく建て替えられているのには驚いた。
車で数分上り坂を進み、春日山城の麓の駐車場に到着。
ここから本丸まで往復歩くことにした。
まず最初の難関は、駐車場から春日山神社まで続く長い階段。
階段が無理なら、車の通る道を遠回りだが進む方法もある。
階段を登りきったところの正面に春日山神社の社殿。
門柱は東郷平八郎による筆。
歴史は意外と浅く、明治時代に上越出身の前島密(日本郵便の父。1円切手でお馴染み)らがお金を出して創建。御祭神は上杉謙信など。
御朱印は境内のお土産屋で書き置きの紙が販売されている。
春日山神社から春日山城本丸までは2つルートがあり、まずは時計回りに整備されたルートから進む。
まずは上杉謙信にご挨拶。
途中、春日山の麓の街が見える。
左に見える建物は上杉謙信像の前にある売店。
ここまではアスファルトの緩やかな登り坂の道だったが、ここからは山道を登る。
三の丸跡。春日山城には当時の建物は何も残っていない。
春日山の麓の市街地がよく見える。
左に直江津、右に高田。
左奥の高い山は米山。
本丸近くには大きな井戸堀。
上杉謙信像から歩いて25分で本丸後に到着。
当然ここも石柱が立っているだけである。
1598年に上杉景勝が会津に移ってからは堀氏が城を守ったが、数年後に拠点を直江津に移して春日山城は役目を終えている。
本丸からの眺め。
左に直江津、右に上越市役所などがある春日山駅周辺の市街地。
左に春日山の市街地、高速道路を挟んで右側に高田の市街地が広がっている。
上越市は昭和の時代に直江津市と高田市が合併して誕生し、平成に入って周辺の町村も吸収して新潟県で3番目の人口の街となっている。
上杉謙信が信仰していた毘沙門天を祀る御堂が本丸近くにある。
こちらは昭和に入ってから建てられたもの。
ここから行きとは違うルートで春日山神社まで戻る。
直江家の屋敷跡が春日山神社に戻る途中にある。
上杉景勝の重臣だった直江兼続が有名で、景勝が会津に移転の際に直江家は米沢に移転している。
このような空堀の跡も途中に見られる。
こうして本丸までの行きとほぼ同じ時間をかけて春日山神社まで戻ってきた。
帰りは山道ではあるが歩きやすく、行きと帰りでこのルートを進むのがおすすめである。
最後に、春日神社と春日山神社の御朱印。
書き方が似ているので、春日神社の方が春日山神社の御朱印も書かれているのだろうか。
この後、直江津に戻って車を返却して、長野まで鉄道旅です。
2021.06.06 中上越旅2日目(2) 高田のお城と御朱印めぐり [国内旅行]
鮫ヶ尾城の新井から上越高田に移動して神社とお城めぐりの話。
高田に入って最初に向かった神社は北城神明宮。
江戸時代の創建だが、元々は茨城の結城城主だった結城氏が福井に移った際に神社も移し、さらには結城氏と血縁にあった松平氏が福井から高田に移った際に神社も高田に移したという歴史がある。
歴史は面白い。
境内には松尾芭蕉の句碑もある。五智国分寺にも句碑があったと思うが、このあたりは奥の細道のルートである。
次に向かった先は、高田郵便局向かいの榊神社。
明治時代の創建で、徳川家康の家臣だった榊原康政や榊原氏で高田藩主になった人らを祀っている。
明治維新を迎えたときの藩主は榊原政敬で、御祭神の1人として祀られている。
高田の市街地の中にある五ノ辻稲荷に参拝。
高田城が築かれる前はここに大きな榎の木があって、そばに稲荷社があったが、江戸時代の松平氏の時代に伏見稲荷から勧請して今の神社になったのだという。
御朱印が話題のようで、お願いするのに時間がかかったので、後でお伺いするとお話しして、改めることにした。
高田駅の裏側は寺院がいくつも集められたように並んでいて、その中に神社が1つだけあったので参拝してみた。ここは日枝神社。
城下町高田の総鎮守的な存在の神社である。
駅の裏手で静かなところにあるが、社殿は立派である。
そして高田城へ。
二の丸から本丸へ繋がる橋が架かるお堀を錦鯉が泳いでいる。
高田城は松平氏の親藩をはじめ、酒井氏や榊原氏といった譜代大名の居城だったことから立派な城構えだったようである。天守閣は存在しない。
本丸の南西角に三重櫓が復元されている。
中に入ってみた。
最上階から遠くに雪をかぶった山々が見える。
三重櫓の西側で三ノ丸と繋がっている。
江戸時代はここには橋は架かっていなかった。
三ノ丸から見る三重櫓はこんな感じ。
高田でいただいた神社の御朱印。
榊神社のみ紙に書いていただいた。
そして、五ノ辻稲荷神社の御朱印。
お稲荷様なのでキツネをモチーフとして楽しい御朱印が数種類用意されている。
高田はまた行く機会があるので、またお伺いしたいと思う。禰宜さんも明るく楽しい方です。
この後、春日山へ向かいます。
2021.06.06 中上越旅2日目(1) 鮫ヶ尾城、斐太神社 [国内旅行]
新潟県の旅2日目。
直江津駅前で朝8時にレンタカーを借りて、新井方面に南進。
遠くの山はこの時期でもまだ雪が残ってるんだな。
直江津から30分ほど走って妙高市の山の中に到着。
神社あり、城跡あり、古代の遺跡ありと、歴史を感じさせる場所である。
駐車場から案内所までの道は整備されていて歩きやすい。
クマ注意。←え゛っ!!!
ここは上杉謙信の2人の養子が跡取りを巡って最後の戦いとなった場所である。
上杉景虎が景勝に攻められてこの鮫ヶ尾城に最後まで籠って自害した場所。
案内所で鮫ヶ尾城本丸までの道を確認。
主に2つルートがあって、案内所の右横から進む道は単調だが見どころはない。もう一つは少し引き返して溜池のそばを通りぬけて堀切などを見ながら進むコース。まずは後者を選んだ。
堀切があった場所にはこのように表示がされている。
案内所でもらった地図と照らし合わせるといい。
東一ノ丸から平野部を見渡すことができる。
案内所から休憩含めて25分ほどで本丸に到着。
本丸からの眺めも見事である。
曇り空だったが、晴天の時は逆に霞みやすいようで、この天気の時の方が眺めがいいとのこと。
反対を向くと、遠くの山に雪が残っているのが見えた。
本丸から麓までは別のルートを通る。
こちらは城跡らしい見どころはなく、そのまま歩いて戻ることにした。
こちらのルートを通ると、上信越道の高架下を通る。
両サイドをトンネルに挟まれていて、この部分は雪対策か環境対策かシェルターで覆われていた。
案内所で御城印を購入して鮫ヶ尾城を後にした。
鮫ヶ尾城の麓にある斐太神社(ひだじんじゃ)にも参拝してみた。
807年創建で、伊勢神宮と出雲大社の流れを汲む神社である。
上杉謙信からも信仰を得ていたとされる。
御朱印は社務所不在でいただくことができなかった。また次の機会に。
この後、上越高田の神社とお城を巡ります。
2021.06.05 中上越旅1日目(3) 直江津の御朱印めぐり [国内旅行]
旅1日目の最後は時間が許す限り直江津周辺の御朱印巡り。
15時前に直江津に着いて、15時ちょうどに国分寺方面に向かうバスがあるということですぐに乗車。
頸城バスなんて久しぶりに乗ったな。けど、JRがSuica適用していない地域だからかバスもICカードもバスカードも存在しないなんてかなり遅れている気がするのだが。
2021.06.05 中上越旅1日目(1) 小千谷の神社とポケふた探し [国内旅行]
4月24日に亀戸天神に出かけて以来、およそ40日ぶりに千葉県の外に出た。さらに、東京を越えてその先の場所に出かけたのも3月の関西に出向いた時以来およそ3ヶ月ぶりである。コロナになる前は、こんなに間が開いてしまうことはなかったのだが。
東京を7時4分に出る新幹線とき303号に乗車。