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2019.05.19 静岡の城・御朱印めぐり2日目(2) 井伊谷・浜松城 [国内旅行]

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掛川の後に向かった先は井伊谷(いいのや)。

数年前に井伊直虎の大河ドラマの舞台になって有名になったところである。

まずは、井伊谷宮から。


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井伊谷なので井伊家を祀っているのかと思ったら、そうではない。

南北朝時代の後醍醐天皇の皇子である宗良親王の陵墓がこの後ろにあるということで、ご祭神は宗良親王である。神社も明治維新以降に創建されたものということで歴史は古くない。

ただ、井伊家の先祖で宗良親王とつながりのある人をご祭神とした摂社「井伊社」が境内に置かれている。

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井伊谷宮の御朱印。

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井伊谷宮から歩いて数分の龍潭寺へ。

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遠州最大の大仏とされる釈迦牟尼仏。

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見事な龍の木彫。

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本堂裏手には見事な庭園。

小堀遠州作とされている。

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本堂正面も枯山水の庭園になっている。

補陀落の庭と言い、白い砂は浜名湖を表現しているという。

ここで写真は紹介しないが、井伊家の墓所は本堂左手奥にある。

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本堂正面の仁王門から出て、龍潭寺を後にした。

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龍潭寺の御朱印。

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井伊谷から車で40分ほど移動して浜松の中心街へ。

浜松城公園の駐車場に車を止めて、向かった先は東照宮。

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境内に武将の家康像と少年の秀吉像が並んで置かれている。

まず手始めに、秀吉が今川氏の家臣のもとで働くために浜松を訪れ、次に家康が遠江を平定した折に浜松城を構えたことから、両者ともに浜松が縁がある街となっている。

当時、秀吉16歳とのことだが、やんちゃな小学生に見えてならない。

ここの神社で御朱印は、社務所が閉まっていていただけなかった。

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最後に浜松城へ。

まずは、若き日の家康に挨拶。

今回の1泊2日の旅で、家康にどれだけ会ってきただろうか。

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築城当時の石垣が残っている。

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天守閣は戦後に再建されたもので、模擬天守。

江戸時代の中頃には存在しなかったそうで、江戸時代の絵図にも天守が描かれていないという。

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浜松城も最上階は展望台。

空き地になっているところや、周辺の大きな建物が建っているところまで城の構成の一部だったんだろうな。

今や浜松は静岡で一番の人口を抱える都市になり(静岡市は2番目)、浜松に本社を構える世界的な大企業もいくつかあるぐらいに発展した。

また、浜松城は家康を始め、江戸時代の城主が軒並み老中などに出世した経緯があることから、出世の城とも呼ばれていたそうである。後に老中になって天保の改革を行なった水野忠邦がいい例である。

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複製だが、この絵は有名。

武田軍に敗れて、浜松城まで敗走し、この時の悔しい様子を絵にしたというもの。

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徳川十六将図。家康を筆頭に、家来16人がその下に描かれているが、江戸時代に入ってから描かれたものらしい。

 

この後、車で地元まで何時間もかけて帰り、帰着したのは夜10時を過ぎていた。

(実は、車絡みのトラブルもあったのだが、あえて省略します)

城めぐりという面では、予定通り回ることができた。名城で静岡県内はこれで全部回ったので、次回この方面で機会があるときは、神社・寺院メインでじっくり回りたいと思う。

 

次のページから、1泊2日の十勝の話に入ります。

 


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