2019.08.13 岐阜滋賀北陸旅4日目(4) 福井城周辺の神社・城跡 [国内旅行]
足羽川を渡って、福井の中心街へ。
北ノ庄城があったとされる場所に今あるのは柴田神社。
北ノ庄城を築いたのは柴田勝家。
しかし、賤ヶ岳の戦いで敗れて、城に火を放って妻のお市の方と一緒に自害したとされる。
何年か前に江を主人公にした大河ドラマが制作され、それに合わせて置かれた三姉妹の像。
その向こうには、母親のお市の方の像。
三姉妹の右から茶々、江、初で、いずれも歴史上に登場する人物に嫁いでいる。
柴田神社の御朱印。
三姉妹像のそばには三姉妹神社も置かれていて、こちらの御朱印もいただいた。
柴田神社から歩いて、西武百貨店の中を涼みながら通り抜け(この日もクソ暑かった)、次に向かった先は福井城のお堀の外側に位置する佐佳枝廻社(さかえのやしろ)へ。
歴史を感じさせる灯籠。
当時はここも福井城の中で、場内にあったお寺に付設された東照宮が始まりである。
東照宮ということで、徳川家康が祀られ、他に初代藩主の結城秀康、最後の松平春嶽も祀られている。
お寺は無くなったが、神社としては引き続き残ったものの、戦災と地震で焼失したため、防災対策で北陸で最初のコンクリート造りの本殿が作られたという。
平成に入って、周辺の再開発に合わせて全面的に建て替えられて今のような社殿と境内になったという。
御朱印は3種類いただいた。
境内にある栄稲荷神社と「ふるさとまいり」のカラフルな御朱印は、紙でいただいた。
そして、福井城の本丸に一番近いところにある福井神社。
昭和18年創建の最後の別格官幣社(戦後にこの格付けは廃止されている)。
最後の藩主だった松平春嶽を祀っている。
これが社殿だが、コンクリート造りのシンプルな造りになってしまっているが、創建当初は総檜造りだったという。残念なことに空襲で焼けてしまい、今の社殿に戦後しばらくしてから再建されたという。
このような形で、松平春嶽の功績を紹介している。
この時、社務所不在で御朱印をいただけなかったが、次の日の夕方に訪問したらいらっしゃったので、このようにカラフルな御朱印を直接書いていただいた。
この後、福井城の跡へ。この日昼間と翌日夕方に訪問しているので、両日の写真を混ぜて載せてます。
福井神社の境内からこのように福井城のお堀と本丸の石垣が見える。
お堀にかかる屋根付きの橋(御廊下橋)から本丸へ。
福の井。福井という地名発祥の井戸。
数年前に井戸を整備して、新たに屋根も設置した。
天守跡とその周辺だけが、城跡として整備されていて、歩いて回ることができる。
江戸時代は4層5階の天守があったというが、1669年に火災で焼失して以降、再建されなかったという。
初代藩主の結城秀康の騎馬像が城跡に置かれている。
現在の福井城跡は県庁と県警本部として使われている。
続100名城スタンプは県庁受付に置かれていた。
こうして、福井城で歩けるところを歩いて見て回って、この後はバスで丸岡へ。
続きは次のページで書きます。
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