2019.10.13 秋の山陰旅3日目(2) 若桜 [国内旅行]
鳥取市内の城と神社を巡って、お昼休みに鳥取駅ビルの中の喫茶店でカレー。
前日昼、夜、この日の朝、昼と4食カレーが続いているが、後で知った話で、鳥取県はカレーの消費量が日本一とも言われているのも頷ける。
鳥取駅を14時半に出発するバスで若桜(わかさ)に向かう。
若桜へは鉄道で行くこともできるが、今回、バスで向かった理由は鳥取県内の路線バスを3日間1500円で乗り放題というパスを利用しているためだ。ここまでで、鳥取砂丘、白兎神社と鳥取駅の間を往復で利用して、すでに1900円分使用しているため、すでに元が取れている。鳥取駅から若桜までの往復はタダで乗るような感じになって、バス旅をするには、お得感が半端ないので是非使って欲しい。
鳥取駅から若桜までは鉄道線にほぼ平行して進む。
途中、若桜鉄道の車両を見ることができたが、沿線の駅名にちなんで「隼」と書かれていて、カッコいい。
鳥取駅から1時間の若桜駅前で下車。
鳥取駅から乗り通したのは私だけだった。
このバス路線は鉄道線とずっと平行しているにも関わらず、1時間に1本の割合であって、意外と利便性が高い。
バス停から少し歩いたところに若桜鉄道の若桜駅がある。
駅舎は何とも昭和のローカル線の駅といった雰囲気。
ちょうど駅構内で蒸気機関車を転車台で回して、バックで進むところを見ることができた。
水補給のタンクもこの蒸気機関車用。
この蒸気機関車、あるイベントでピンク1色に塗られていた時期があったそうだが、今は従来の黒に塗り直されている。
若桜駅前の観光案内所で続100名城のスタンプを押すとともに、御城印も入手した。
さらに、この案内所で若桜鬼ヶ城の本丸まで歩いて行く方法を確認。
お城に行く前に若桜の街並みを歩く。
右手に蔵造りの建物と、左手にお寺が続く通りである。
若桜の各地で見られる人形。
何故かお店にキューピー人形だらけ。
街の外れに若桜神社。
神社の門で鈴を鳴らせるようになっている。
この先は長い階段になっている。
若桜鬼ヶ城が築城された際に、この地に移ってきたという。
城は矢部氏が築城したとされているが、鎌倉時代初期のようである。
神社の扁額に書かれている陸軍大将・林銑十郎は、後に数ヶ月ではあるが総理大臣を務めている。
陸軍大将だった時期は昭和の初め。
16時20分に麓から若桜鬼ヶ城の本丸を目指して登り始める。
登山道がはっきりしてなくて、少々不安を感じる。
とりあえず、途中途中に道案内の看板が立ってて、迷うことはなさそうだ。
鳥獣対策で電気柵が張られているので、通るときは真ん中を外して、中に入ったらすぐに真ん中を張り直す。
麓を出発してから40分弱で本丸に到着。
鎌倉時代に矢部氏によって築かれた城で、後に毛利氏が支配し、更には豊臣側に攻められといった感じで、関ヶ原の合戦前に城主がよく代わっている。
本丸から麓の眺め。
右奥は姫路方面。左側に進むと鳥取。
石垣が崩れて見えるのは、江戸時代の一国一城令で廃城となって破却されたため。
帰りは違うルートから山を下りる。
電気柵のゲートも先ほどとは違うところ。
この行きとは違うルートで下りると、六角石垣が築かれたところを通る。
ここは本丸と麓の間にあって、周辺を監視する施設でもあったのだろうか。
この後が大変だった。
本当に道で合っているのかわからなくなり、途中からは道になっていない山の斜面を下りていくことに。これはおかしい。しかも、日没で暗くなってきて、これ以上進むと遭難する可能性があるかもしれない。そんなわけで、一旦ここまで進んできたところを道だとわかるところまで戻ることにした。
ここは冬場は地元の小学校がスキーの練習場として使っていたところのようである。
ここで違うルートに入っていたことがわかり、正しいルートに戻ることができた。
こうして麓から本丸までかかった時間以上に時間をかけて本丸から麓まで下りてきた。
もう街中は薄暗くなって電気がついていた。
18時過ぎの若桜駅も静まり返っていた。
SLは機関庫に戻されず、先ほどと同じ場所に止まっていた。
次にまた若桜を訪問する機会がある時は、若桜鉄道を利用したいものである。
18時18分頃に若桜駅前を通るバスで鳥取駅まで戻ってきた。
この時間となると、バス通りは完全に静まり返っていた。
1時間後、鳥取駅到着。無事にこの日の旅を締めくくった。
次の日は旅の最終日。朝の飛行機で羽田に戻ります。
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