2020.12.28 愛知旅3日目(2) 名古屋の神社 丸の内からスタート [国内旅行]
名古屋城の後は神社巡り。
まずは、名古屋城の南の三の丸に位置する愛知県護国神社。
鳥居と門柱の裏側を見ると、「中日新聞社」と「中部日本新聞社」の表記。
戦時中に名古屋の新聞社が新聞社が統合して中部日本新聞社になり、会社名として中日新聞社になったのは1971年のこと。
新聞の論調とは相反して護国神社に奉納していることに何だか矛盾を感じる。
明治の始まりに尾張藩主が戊辰戦争の戦没者を祀ったのが始まりで、大正時代に今の名城公園に移転し、そして昭和に入って今の場所に移転してきたという。
社殿は戦時中の空襲で焼けて戦後に再建されたもの。
愛知県護国神社の御朱印。
愛知県護国神社から南側に向かって歩く途中に名古屋城の外堀。
次に向かった先は那古野神社(なごやじんじゃ)。
911年に天王社として創建。
江戸時代に入って当時あった場所が名古屋城の敷地にあったため、今場所に移転してきたという。
社殿は戦時中に戦災で焼失したため、戦後に再建されたもの。
那古野神社の御朱印。
那古野神社の左隣に恵比寿を祀った福神社。
さらにその左隣には名古屋東照宮。
徳川家康と尾張藩の初代藩主徳川義直を祀った神社。
社殿は戦時中に空襲で焼けたため、他の地にあった徳川義直の正室の霊廟を戦後に移転させたもの。
東照宮と福神社の御朱印を見開きでいただいた。
少彦名神社は薬の会社が集まっているところに置かれている神社。
御朱印は近くの名古屋薬業健保会館2階の事務所でいただいた。
場所は神社に案内があるのと、建物に入ってからも御朱印の受付場所が書いてあるのでそちらをご覧いただきたい。御朱印料は200円だった。
高層ビルに囲まれてあるのは桜天神社。
織田信秀(信長の父)が1538年に勧請して創建したもの。
当時は境内に桜の大樹があって名所だったというが、今はその面影すらない。
この日、後で参拝する山田天満宮、上野天満宮と並んで名古屋三大天神と称する。
少彦名神社(左)と桜天神社の御朱印。
西区那古野(なごの)の浅間神社。
名古屋市内にいくつかある浅間神社の一つで、江戸時代にこの地に移転してきたという。
御朱印は社務所不在でいただけなかった。
浅間神社を出たところで、お昼時になったので通りにあったカフェに立ち寄った。
名古屋なので、あんかけスパを頼み、食後にコーヒー1杯。
この日は平日だったからか、私が入った後から仕事の客が多く入ってきて繁盛している雰囲気。
美味しくいただきました。
午後からは名古屋市内の北部へ地下鉄で移動。
名鉄の車両がやって来て、これで数駅先の庄内通まで乗車。
庄内通駅から歩いて向かった先は伊奴神社(いぬじんじゃ)。
奈良時代の672年にこの地で採れた稲が皇室に献上された際に建立された神社ということで、名古屋にある神社でも歴史の古い神社とされている。
狛犬ではなく芝犬が置かれている。
犬に関する伝説が神社の創建に絡んでいる。
絵馬殿を見ると、奉納されている絵馬の多さに驚く。
伊奴神社の御朱印は書き置きの紙でいただいた。
前倒しで1月1日付の御朱印も。新年のお祈りもさせていただいた。
この後も引き続き名古屋市内の神社巡りです。
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