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2017.11.25 裏富士神社めぐり(2) 富士河口湖町 [国内旅行]

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富士吉田から河口湖の市街地を抜けて、勝山の冨士御室浅間神社へ。


ここは「冨士」である。


武田氏をはじめ、様々な武将の祈願所だったところである。


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春になると桜が美しそうな参道を進み、随神門をくぐる。


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本殿のように見えるが、こちらは「里宮」の扱い。


958年の創建で、現在の社殿は明治時代のもの。


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撫で牛もいて、天満宮の様相も。


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真新しそうな建物の方が本宮。


と言っても、内側にある小さな建物が、元々は富士山2合目にあって、これが富士山最古の神社とされている。噴火などで被災したり、気象条件が厳しいので傷みがひどくなりやすいこともあり、永久保存目的で昭和49年に今の場所に移されたとのこと。


御朱印は里宮と本宮の2種類いただけた。


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冨士御室浅間神社が河口湖の南岸に位置していたのに対し、次の河口浅間神社は北岸に位置している。バス停のハングルが하구(ハグ・韓国での漢字の読み方そのまま)って表記されているが、現地の発音に合わせるなら가와구치(カワグチ)じゃないだろうか?


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ここから河口浅間神社に入る。


864年の富士山大噴火で周辺住民が被害を受け、当時の国司が朝廷に神社を建てるお願いを立てて、できた神社であり、前に参拝した冨士御室浅間神社と並んで現在は世界遺産の構成資産の一部である。


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富士山周辺の世界遺産の構成は、各地に看板が置かれているので、確認したい。


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参道はさほど長くないが、樹齢800年ほどの杉並木と参道の祠が歴史の長さを感じさせる。


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江戸時代初期の1607年に社殿が消失し、翌年再建された社殿が現役である。


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奉納された扁額などが歴史の長さを感じさせる。


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14時半頃の富士河口湖町から見た富士山は本当に良かった。


今回は雲が全然かからない。


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今回いただいた冨士御室浅間神社(右・中)と、河口浅間神社(左)の御朱印である。


どれもありがたいものばかり。


 


このあと、猿回しを見ていた女性陣と合流して忍野八海に向かいます。


続きは次のページで。


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