2018.08.15 東九州旅5日目(4) 中津城・薦神社 [国内旅行]
福澤諭吉の旧居から中津城まで歩いてきた。
お堀のそばには黒田官兵衛夫妻の坐像が置かれている。
中津城は姫路から移ってきた黒田氏によって築かれたお城である。
中津城の外側を北側から東に回って入る。ここには神社の鳥居。
模擬天守の手前に奥平神社が置かれている。
黒田氏が福岡に移封後、細川氏が2代、小笠原氏が5代続いて、1717年から明治維新まで奥平氏が代々城主となり、その奥平氏を祀っている。
中津城の模擬天守には、奥平神社所蔵の資料が展示されている。
戦後に模擬天守が再建されたのも、奥平氏の子孫によるものである。
天守閣の最上階から中津市街を一望できる。
北東側を見ると、河口の向こうに周防灘が見える。
手前の橋の向こう側に川の分岐点が見え、その向こう側は福岡県。
明治維新前は同じ豊前国だったが、福岡県と大分県に分かれてしまった。
中津城の敷地には、他に神社がいくつも置かれている。
こちらは、黒田官兵衛に謀殺された宇都宮鎮房を祀った城井神社。
側には他に扇城神社、金刀比羅宮も置かれている。
中津祇園祭の中津神社も中津城址に入っている。
中津城址の敷地の多くを占めるのが中津大神宮。
明治に入って、伊勢神宮から勧請したのが始まり。
中津城址の南側のお堀はハスの葉で覆われた状態だった。
中津城址を南側から出た。
天守閣がある以外は神社が多く置かれている印象の城址だった。
中津で最後に向かった先は薦(こも)神社。
バスの時間がちょうどなくて、タクシーで向かった。
参道の途中にある池に鳥居が浮いていて、神社の内宮と見なされている。
立派な神門だが、ここから中に入れない。
江戸時代前期に藩主の細川氏によって再建したもの。
参拝は神門の左手にて。
こちらが神社の外宮という位置付け。
薦神社は平安時代前期から続く歴史の長い神社で、各時代の領主の崇敬を受けて守られてきた経緯がある。
人に馴れたネコちゃんが何匹かいる神社だった。
御朱印をお願いしている間、ネコちゃんの相手をする。
薦神社から中津駅まではバスの時間があったので、バスで戻る。
もう少し時間があれば、他にも神社やお寺を巡れたのかもしれないが、今回はここまで。
奥平神社の御朱印は中津城の模擬天守の中の売店で書置きの紙の状態でいただける。
更に、中津城そのものの御朱印も同じ状態でいただけた。
中津大神宮の裏手の御朱印所で、神社3ヶ所分の御朱印を書いていただいた。
これで中津城址だけで御朱印を5種類もいただけたことになる。
薦神社の御朱印。
この後、電車と飛行機で東京まで戻り、今回の旅を締めくくります。
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