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2018.09.09 群馬御朱印巡り(3) 太田・金山城とその周辺 [国内旅行]

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今回の群馬県の旅の最大の目的は日本100名城のお城に行くこと。


群馬県太田市には金山城とがあり、城址の麓には資料館がある。


前回の城廻りの時も訪問したが、今回もここにチェックイン。


※日本100名城のスタンプはここには置かれていない。

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車で更に山の上に向かい、駐車場に車を止めてから城址を目指す。

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城址までの歩く道は整備されていて、歩きやすい。

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城址までの道のりからは、関東平野を一望できる。

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大手虎口から城郭の中へ。石垣がしっかり残されている。

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城郭内に丸い池が2つ残っている。

こちらは日の池と呼ばれ、儀式が行われた神聖な池だったようである。

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南曲輪にある休憩所に100名城のスタンプが置かれている。

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本丸には3つの神社の社殿が置かれている。

階段を上がってすぐの新田神社、左隣に御嶽神社、その左隣にも小さな神社。

明治時代に入って立て続けに建てられたという。

2つの神社の御朱印が書置きの紙の状態で新田神社の社殿の前に置かれていて、1枚300円を賽銭箱に入れるようになっていた。日付は自分で書くことになる。

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金山城から麓に下りて、金龍寺へ。

新田義貞を弔う目的で室町時代に開かれたとされ、以後金山城の城主の菩提寺とされてきた。

1590年に金山城が廃城になってからは一旦お寺は無くなったが、江戸時代に館林の領主になった榊原氏が再興したという。

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金龍寺から更に太田市の市街に近いところに大光院という大きなお寺がある。

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徳川家康が先祖の新田義重を供養するために建立させた寺院である。

増上寺から呑龍を招聘して住職にしている。呑龍の説法などで多くの人が慕い、また当時の捨て子や貧しい多くの子供たちをお寺で引き取って養育したことでも知られている。

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更に市街に向かうとある春日神社。

ここの社殿にも書置きの紙の御朱印が置かれていて、先ほど参拝した新田神社の御朱印もいただける。新田神社はやはり現地に参拝したほうがいい。

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太田市で最後に訪問したのは曹源寺。

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お寺としては珍しい3階建の本堂。

と言うのも、江戸時代の火災で観音堂だったこの建物だけが残り、以来この建物が本堂になったという。

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中の構造が珍しく、回廊式の通路を進むと3階まで行き、引き続きそのまま進むと1階に戻る「さざえ堂」である。その通路の途中に坂東三十三観音や西国三十三観音などの観音菩薩像が置かれていて、一度に巡礼ができる仕組み。

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最上階から外を眺めることもできる。本堂しか残っていないので、境内は狭い。

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金龍寺と大光院の御朱印。

大光院は書置きの紙でいただいた。

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金山城本丸跡の新田神社、御嶽神社、そして麓の市街にある春日神社の御朱印。

全て書置きの紙で、日付は自分でペンで書き入れた。

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曹源寺の御朱印。

日本三堂とあるが、さざえ堂として一番知られている会津若松の正宗寺、他に埼玉県児玉町の成身院と並んでここ曹源寺で日本三堂という意味である。

 

これにて、神社用の御朱印帳が表裏いっぱいになった。

次の北関東の神社用の御朱印帳を求めて隣の栃木県足利市へ。次のページで書きます。


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