2018.09.15 大阪・学園都市線の御朱印旅(2) 野崎→飯盛城→四條畷 [国内旅行]
徳庵から乗って野崎で下車。
どちらの駅も快速は止まらない。
野崎駅から歩いて数分の大東市歴史民俗資料館へ。
ここに、日本続100名城に認定された飯盛城のスタンプが置かれ、飯盛城について紹介している。
資料館で飯盛城についての資料を入手して、登山道の入口がある野崎観音へ。
野崎観音(慈眼寺)の境内に南條神社。
今回の旅行で、第一ネコちゃん発見は野崎観音で。
野崎観音は安産祈願で知られているようで、天井に多くの祈願したものが吊るされていた。
野崎観音の御朱印。
さて、野崎観音裏手の登山道から飯盛城を目指す。
しばらくは野崎観音の敷地内を進む。
途中から野崎の市街地が見える。
歩き始めて15分。大きな倒木発見。
先日の台風21号の影響だろうか。
こりゃ、やばいかな? でも、登山道の入口に「通行止」の案内は全くなかったし大丈夫だろうと判断。これが、この先の大変な登山の始まりになるとは思いもしなかった。
そしてたどり着いたのが野崎城址。
1348年に北朝軍がここに陣地を置いて南朝軍と戦ったと「太平記」に記されているという。
その後もここに城が置かれて合戦の舞台になっていたようである。
倒木2ヶ所目。
正直迷ったが、野崎観音から20分ほど歩いた辺りで、引き返すのも面倒に感じてさらに進むことにした。
登山道を外れたところは倒木が目立つ。
台風の爪痕はかなりのものだったようである。
野崎観音から1時間かけて飯盛山の山頂に到着。
ここには楠木正行の像が建っている。
城は16世紀半ばに河内守護の畠山氏の家臣木沢氏によって築かれ、後に三好氏が入城して、織田信長の時代に廃城になったそうである。山頂一帯に城を構えていたという。
城址の地図。
今回、野崎観音がある地図右下から歩いてきた。
山頂付近からの眺め。
山頂からさらにその先は四條畷側に下りるが、そのまま進もうと思っていたコースが通行止。
この看板が出ているということは、矢印で示された左側の道に進めということだろうか。
そう思って進んで見ることにした。
これが裏目で、今までの山城歩きの中で一番最悪なコースだった。
各所で倒木が発生していたり、がけ崩れで歩きにくかったり、腕や手に泥を付けながら山を降りていった。
山頂から30分以上かけて登山道を四條畷側に降りたところに、通行止の表示があった。
私が通ったルートは通行止だったということになる。
飯盛山山頂の「新道にお回りください」の表示がものすごく不親切。ちゃんとして欲しい。
四條畷側の飯盛山登山口そばにある四條畷神社に参拝した。
楠木正成の嫡男正行を祀り、明治時代に入ってから創建された神社である。
天皇家に忠実だった楠木氏ということで、明治維新以降に神社に祀られることが多く、ここもその一つ。この像は楠木正成と正行親子である。
社殿左側の摂社には、楠木正行の母親が祀られている。
四條畷神社の御朱印。
階段を下りて四條畷駅を目指す。
立派な豪邸。
学校の合間を抜けて四條畷駅に到着したのは、野崎駅を出発してから3時間が経過していた。
飯盛城に行けたのは良かったが、台風の被害がこんなにひどいとは思わなかった。今までの山城登山で一番最悪だったと思う。
この後、星田まで行きます。
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