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2018.10.20 川越御朱印巡り 午前編 [国内旅行]

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西船橋から乗った臨時快速を川越で下車して、川越の神社寺院巡りスタート。

朝10時半過ぎでも多くの人で賑わっている。


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まずは川越八幡宮から。

1030年の創建で、歴史ある神社である。

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境内には民部稲荷神社が置かれている。

「相撲稲荷」とも呼ばれ足腰健康の神様でもある。

そのため、近くの大学の陸上部が参拝に訪れているようである。

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喜多院に向かう途中にあるのが中院。

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平安時代に慈覚大師円仁によって創建された天台宗のお寺である。

元々は仙波東照宮のあった辺りに中院はあったという。それが、仙波東照宮の創建に伴って今の場所に移されたそうである。

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島崎藤村の義母の墓も存在する。

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中院から次の場所に向かう途中に、石碑などがいくつも置かれた場所。

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そして、仙波東照宮。

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徳川家康の遺骸を静岡の東照宮から日光の東照宮に移す際にこの地に一時的に置かれたという。

今は神社として独立しているが、江戸時代は隣接した喜多院の一部だった。

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歴代の川越城主らが奉納した石灯籠が多く残っている。

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仙波東照宮の境内から喜多院に繋がる道があるが、その前に一旦外に出て日枝神社へ。

慈覚大師円仁が平安時代に近江の日吉神社を勧請して創建したのが始まりで、東京赤坂の日枝神社はこの川越の日枝神社から勧請されたものである。

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日枝神社に隣接したところから喜多院へ。

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門をくぐる前に天海僧正の像。

徳川家康の顧問的な存在だった人で、川越でも住職を務めた人。喜多院の中に東照宮を造ったのも天海僧正によるもの。

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川越まつりと七五三の時期が重なって、多くの参拝客。

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江戸城から移して庫裡・客殿として使われている建物へは拝観料を払って入る。

徳川家光が生まれた部屋や春日局の間が江戸時代に起こった大火の後にこの地へ移された。

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客殿から庭園を眺めることもできる。

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こちらも別料金で拝観できる五百羅漢。

江戸時代中期に約50年かけて作られ、同じ顔をしたものが1体もないのが素晴らしい。

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午前中最後は喜多院に隣接した成田山川越別院。

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江戸時代末期に廃寺となっていた川越の本行院を再興して、成田山の別院としたのが始まり。

165年の歴史がある。

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川越八幡宮でいただいた御朱印。

民部稲荷社の御朱印もいただけて、1枚500円。

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仙波東照宮の御朱印も川越八幡宮で書いていただいた。こちらも1枚500円。

東照宮の近くの売店でも書置きの紙でいただけるが、やはり書いてもらった方がいい。

日枝神社も拝殿前に書置きの紙が用意されていた。

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中院の御朱印も住職が取り込み中だったため、書置きの紙での対応となった。

 

この後、川越城、氷川神社方面に向かい、夕方に近づくにつれて人が増えていくのが分かります。


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