2018.10.20 川越御朱印と城巡り 午後編 [国内旅行]
川越市内の神社寺院巡り中。成田山川越別院の門の前にある食堂でお昼をとった。
肉汁うどんって埼玉名物なのだろうか。
成田山川越別院から三芳野神社に向かう途中にある浮島神社。
かつて、境内周辺はいくつも清水が湧き出ていて神社が島に浮いて見えたのでそのような名称になったのだという。境内にはその名残の池がある。
川越も台風の塩害がひどかったのだろうか。
イチョウが黄色くなる前に南側の面が早くも落ちてなくなっている。
807年の創建ということで、平安時代初頭から存在する。
川越城を築いた太田道灌の崇敬を受け、江戸幕府からも崇敬を得て、江戸時代初め頃に建て替えられたものが、修繕を繰り返して現在に至っている。そして現在も修繕中…
わらべ唄発祥の所
「通りゃんせ」発祥の地とされる。
川越氷川神社の兼務社で、日曜日だったか、その神社から週1回お越しいただく日があって、その日は御朱印を書いていただくことができるらしいが、土曜日は氏子さんが社務所を管理していて、書置きの紙で頂いた。
三芳野神社から歩いてすぐの場所に川越城の本丸御殿がある。
日本100名城のスタンプは、受付で押させてもらった。
川越城は江戸城を築いた太田道灌から歴史が始まる。後に北条氏の領地になり、豊臣秀吉が北条氏を滅ぼしてからは家臣の領地に、そして江戸時代は親藩・譜代大名が代々城主を務めた場所である。
現存している川越城の建物は本丸御殿と移築した家老詰所だけだが、現在の本丸御殿は1848年に建てられてさほど古くはない。そのため、明治以降は役所として使われたり、タバコ工場、武道場、中学校の仮校舎など様々な用途として使われて、最終的に公開された施設になっている。
本丸御殿周辺も元々は川越城の敷地内。
外側は住宅地となり、中心に近いところは、野球場や博物館などとなっている。
川越城の北西に位置する川越氷川神社へ。
川越まつりの日に合わせて、参拝客の長い列ができていた。
この神社では鯛みくじが有名なのだろうか。
多くの人が挑戦していた。
境内を回っている最中に、外から神輿が戻ってきた。
神輿の前後の人たちも紋付袴で整えている。
川越氷川神社もお祭りのために御朱印は書置きのみ。ただし、川越まつりの特別バージョン。
14時過ぎに氷川神社の外で撮ったものだが、このように昼間から山車が市内各所を回っている。
そしてこちらも。
市内各所にお囃子を鳴らして、お面をかぶった人が踊り続けているところもある。
時間が経つにつれて、段々人出が多くなってくる。
15時過ぎの市内熊野神社近くの様子。
御朱印巡りの締めに熊野神社。
参道の両端に靴を脱いで歩いてほしい通路がある。
本当に痛いけど、健康にいいので是非歩いてほしい。
秋なのに茅の輪くぐりが置かれていた。
熊野神社と言えば、八咫烏。
熊野神社の御朱印。境内社の厳島神社の御朱印もいただけた。
他に川越市内で妙昌寺でも御首題をいただけた。
川越市内での御朱印巡りはここまで。この後は川越まつりを夜まで楽しんだ話を書きます。
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