2019.01.01 スリランカ旅4日目(2) 世界遺産シーギリヤロック [海外旅行]
ダンブッラから乗ったバスを下車したところから話を始めよう。
降りる場所について、何も説明がないので、googleの地図を見ながら、この辺りで降りたほうがいいだろうと思っていたら、ほかにも降りる人が複数いて安心。
遠くにこれから向かうシーギリヤロックが見えてきた。
結構な高さに見えるけど、頂上まで登らなければここまで来た意味がない。
このお堀の周りにはワニがいるから気をつけろ、という意味か。
お堀に沿って時計回りに南側の入口へ進む。
山頂は宮殿があったところで、このあたりは宮殿の関連施設があったところ。
日本で言うお城と似たような構成である。
シーギリヤロックに登る前に資料館で予習。
この建物は日本のJICAの援助で建てられたものである。
シーギリヤロックへの入場料もこの建物内で払うが、ここではUSドルで30ドルもする。
USドルの用意を忘れずに。
日本の援助で建てられた資料館に、中国の周恩来の写真。
中共とスリランカの関係って、冷戦時代から続いててそれが現在に至ってる感じ。
旅行中、台湾との関係を示すものは影も形もなかったように思えるぐらい、スリランカは中共との結びつきが強い。
資料館の近くの大木はサルの巣のようになっていた。
南側からお堀を渡って城郭の中へ。
係員にどのぐらい時間がかかるか聞いたら、往復で2時間程だとのこと。
山に向かって延びる通路の両側は王の沐浴場があった辺り。
通路を歩いていると、色々話しかけてくる人がいたが、基本的に無視で。勝手にガイドされては困る。
数百メートル平地を歩いて、ここから長い階段を昇る。
ハチ注意だが、私が歩いた時は気にならなかった。時期にもよるのだろうか。
首が痛くなるぐらい上を向く。
よくこんな真上に宮殿を作ったものだと感心してしまう。
この先に螺旋階段があり、階段を上がるとシーギリヤ ロックの目玉の一つである壁画が見られる。残念ながら壁画は撮影禁止。どんなものかは、「シーギリヤ 壁画」で検索すると出てくるので見て欲しい。シーギリヤ ロックは5世紀に10年程だけ存在した宮殿なので、元々はこの時期のものと思われるが、こんな切り立ったところによく壁画を残したものだと思う。
壁画を見て螺旋階段を降りると先にあるのが、ミラーウォール。
上にある壁画がこの壁に写って見えるようにしていたのだろうか。
ミラーウォールを過ぎると、南側を一望できた。
まっすぐ延びる通路以外は一面森の中である。
森の中に大きな岩が見えるが、これがエレファントロックと呼ばれているものだろうか。
山の中腹にも遺跡がある。
ここも山の中腹の見どころ。
ここから一気に階段を登って頂上まで行くが、その入口にライオンの前足の一部が残っている。
かつては足と頭も残っていて、ライオンの口に吸い込まれるように頂上へ進めたらしい。
頂上に到着し、西側を見ると、一面森林である。
山頂でリスを見た。
スリランカを旅行中も公園などで何匹か見ている。
ここが山頂の王宮があったところ。
5世紀の後半に建てられ、建てた王の弟に攻め込まれる11年間だけここに宮殿が建てられて王政が行われたという。ここに王宮が建てられた経緯や肉親との関係を書くと長くなるので、ネットで調べて見て欲しい。ドラマにしてもいいぐらいのストーリーだと思う。
雰囲気が日本の竹田城趾にも似て見える。
竹田城が日本のマチュピチュと言われるなら、シーギリヤ ロックはスリランカのマチュピチュといったところか。
ラピュタのような感じにも見えるし。
こんな山の上に王が使用していたプールが残っている。
こんなところに水を張るとは、何とも贅沢な作りである。
麓まで下りてきた。
野良犬はあちこちいるけど、ネコちゃんはダンブッラの洞窟寺院で見て以来、全く見かけない。
麓側にも洞窟があったり、奇岩があったり、見所が多い。
ワニは見なかったが、オオトカゲがいた。
山頂からの帰り道の途中から行きと違うルートになり、ここで行き道と合流する。
この後、シーギリヤ からキャンディまでバスを乗り継いで帰る。
画像が多くなったので、次のページに書きます。
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