2019.09.07 埼玉の城と御朱印めぐり(1) 東松山、嵐山、寄居 [国内旅行]
日帰りで埼玉県内の名城と神社を巡った話を2回に分けて書いていきたい。
移動手段は車。朝6時過ぎに家を出て、外環道、関越道を通って東松山インターで降りた。
東松山インターから数分移動したところにある箭弓稲荷神社から。
創建に諸説あるのだろうか。
ホームページには奈良時代の712年ってなってて、境内の案内板には平安時代の1028年ってなってる。社殿は江戸時代後期の天保年間に建てられたものを改築を重ねているとのこと。
東松山市と中国・洛陽市の友好関係で、境内にぼたん園がある。
見頃は4月中旬頃だそうで。
この御朱印スタンプの大きいのには驚いた。
神社の名前の発音が「野球」と同じということで、野球に関した願掛けが多い。
絵馬もバットとベースの形をしている。
ここは、私もロッテのCS進出祈願。(後日追記 CS進出ならず、残念。この神社がある埼玉県の球団が優勝してしまった)
東松山市から嵐山(らんざん)町に入り、武蔵嵐山駅から近いところにある菅谷館跡へ。
続100名城に指定されていて、敷地の県立嵐山史跡の博物館でスタンプを押印した。
城跡に畠山重忠像。
元々は鎌倉時代の御家人・畠山重忠の居館があったところとされる。
空堀が残っていたり、城郭はしっかりと残っているが、これらは戦国時代のもので、山内上杉氏と扇谷上杉氏が争っていた頃に整えられたそうである。
また、この城跡については謎な部分が多く、今後の調査結果を待ちたいところである。
次のお城へ向かう途中に立ち寄ったのが、鬼鎮(きじん)神社。
安徳天皇の時代ということなので、平安時代末期の創建。
鬼を神様としている珍しい神社である。
御朱印は武蔵嵐山駅にある観光案内所で書置きの紙でいただいた。
次に向かったのは続100名城に指定されている杉山城跡。
菅谷館と同じ嵐山町にあって、杉山城の資料と続100名城のスタンプは、嵐山町役場に置かれている。
この日は土曜日で役所の窓口は閉まっていたが、スタンプが置かれている場所へは入ることができた。
嵐山町役場から杉山城跡まで車で数分の移動。
中学校の裏山が城跡になっていて、ここから城跡の山を少し登ることになる。
この辺りは出郭とされているところ。
典型的な山城で、麓の関東平野を全方向に一望できるところに位置している。
空堀がはっきりと残されていて、戦国時代の雰囲気が残る。
15世紀末から16世紀に築かれ、当初は北条氏の城とされていたが、最近の調査で、山内上杉氏と扇谷上杉氏、古河公方の三つ巴の戦いが繰り広げられた頃に山内上杉氏によって築かれた城であることがわかったという。
なお、この場所は私有地なので、特別に入らせてもらっているという意識を忘れずに。
次に向かった城跡は、寄居町の鉢形城。
駐車場そばの鉢形城歴史館で日本100名城のスタンプを押した。
城跡の中を川が流れていて、荒川と合流するところまで城跡が続いている。
うっそうと木が生い茂った本曲輪。この左手に荒川が流れている。
二の曲輪の道を進むと、小さな神社が置かれている。
二の曲輪と三の曲輪の間に深い堀がある。
鉢形城は意外と広い城跡で、日本100名城に指定されているだけあって、城跡は整備されている。
1476年に山内上杉氏の家臣で長尾景春によって築城と伝えられる。後に後北条氏の拠点となり、北条氏滅亡後は徳川家康の配下が代官ととしてこの地を支配したという。
寄居町にある宗像神社にも行ってみた。
ここで御朱印をいただけるという情報があったが、予約制ということで、今回は御朱印をいただかなかった。
この後、忍城(おしじょう)がある行田市へ。
続きは次のページで書きます。
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