2020.08.12 山口旅1日目(2) 湯田温泉からのチャリ旅 前編 [国内旅行]
新山口駅からバスで30分足らずで湯田温泉に到着。
まずは近くの観光案内所で山口市内の地図と観光情報を確保。
内容をさらっと確認してから今夜のホテルに向かった。
まだ朝10時を過ぎたばかりということで部屋には入れず、荷物を預ける形に。
ホテルで無料で自転車を借りることができたのはありがたかったが、電動アシストではなかったので、坂道が辛かった。これから向かう神社や寺院は意外と坂道の先にあるところが多かったもので。
まずは湯田温泉のはずれにある熊野神社から。
セミがミンミン鳴く中、階段を上がっていき、小高い山の上に建つ社殿へ。
室町時代に大内氏が紀州の熊野神社から勧請して創建した神社である。
社殿右手に縁結びの絵馬、左手に縁切りの絵馬が掲げられている。
縁切りの絵馬に切実なことが書かれていて、少々怖さを感じる。
少し上り坂を進んで朝倉八幡宮へ。
859年に宇佐八幡宮から勧請して創建したのが始まりで、幕末に湯田に滞在していた三条実美が尊王攘夷の祈願で何度も参拝したとの記録が残っている。
歴史を感じさせる扁額である。
境内に他にも温泉神社などがあるが、暑さで参拝を忘れてしまった(←失礼)
朝倉八幡宮と熊野神社の御朱印は、熊野神社の社務所でいただいた。
温泉神社などの他の御朱印もいただけるが、今回参拝し忘れたので、次回参拝の機会にいただくこととした。
次に向かったのが木戸神社。
木戸孝允を祀っている神社である。
萩出身で桂小五郎改め木戸孝允が病気で亡くなる前に、この地に所有していた本宅山林を地区民に与えるよう言い残し、その地区民によって創建された神社である。
木戸神社から県庁方面に進んだところにある普門寺へ。
大内氏の時代に創建され、大内弘直の墓がある。
幕末には大村益次郎がここに寄宿し、兵学を教授したとされている。
普門寺の鐘楼から山口の市街を眺められる。
歴史民俗資料館で、続100名城に認定されている山口城・大内氏館のスタンプを押した。
特別展「闘鶏乱舞」というタイトルに誘われてしまいそう。
歴史民俗博物館から坂を少し上ったところにあるのが山口大神宮。
階段を進んで行くと、その先には内宮と外宮。
大内氏の時代に朝廷の許可を得て伊勢神宮から勧請した神社である。
伊勢神宮の習慣に倣って、式年遷宮も行ったことがあり、それぞれの隣地にその跡が残っている。
今は山口大神宮の境内社になっている多賀神社。
大内氏の時代に社殿が建てられ、のちの戦乱で焼失後、江戸時代に入って毛利輝元によって再建されている。そして、山口大神宮の境内に遷座したのは戦後になってから。
山口大神宮で多賀神社の御朱印もいただけた。
山口大神宮から瑠璃光寺に向かう途中にある藩庁門。
幕末に長州藩の拠点を萩からこの地に移転しようとした際に作った門がそのまま残っている。
藩庁門をくぐったところが今の山口県庁。
洋風の建物は大正時代に建てられて、今は県政資料館として使われている。
ヤギ注意と書かれているお寺に入ってみた。
何を冗談な・・・と思っていたのだが、
本当にヤギがお寺の境内にいた。
ヤギがいるのは大内氏の時代に創建された洞春寺。
毛利元就の菩提寺でもある。
普門寺と洞春寺の御朱印。
洞春寺を出ようとしたところで激しい雷雨となり、自転車での移動が不可能になって、洞春寺の山門で雨宿り。雨がすごかったけど、雷もすごかった。周囲近くに何度も落ちたし。
この後、雨が止んで瑠璃光寺に向かった話は次のページで。
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