2020.08.16 山口旅5日目(1) 長府 [国内旅行]
山口旅も5日目最終日。
朝起きたら、ちょうど電車が通過。
今回はトレインビューな部屋に恵まれたと思う。
8時前にホテルをチェックアウトし、下関駅からスタート。
朝早いスタートということで、市内の路線バス主要区間が乗り放題の1日乗車券は前日のうちに購入。
下関駅を8時過ぎに出発するバスに乗って30分ほど移動の城下町長府で下車。
バスの本数が多いからか、路線が複雑だからか、バス会社が1つしかないのにバス停のポールがこんなに立ってるのがすごい。
前を走る小月営業所行きに乗ってきたが、手前のバスは青海島行き。サンデン交通は営業範囲が広い。
長府の住宅街を歩く。
江戸時代は長州藩の支藩があった街ということで、古い感じの街並みが残されている。
笑山寺は曹洞宗のお寺。
長府藩の歴代の藩主のお墓があるが、実際に埋葬されているのは東京の泉岳寺。
笑山寺の奥にあるのが現在は曹洞宗の功山寺。
山門は1773年に再建されたもの。
仏殿は国宝に指定されている。
鎌倉時代末期の1320年に創建された当時は臨済宗のお寺で、建物も当時のものである。
裏手に毛利家の墓所がある。
境内に高杉晋作が馬に乗った像がある。
このお寺で騎兵隊を挙兵したとされる。
戦国時代は大内氏の保護を受け、大内義長がここの仏殿で自刃して大内氏が滅亡してからは毛利氏の保護を受けてきたお寺である。
長府の由来って、元々長門国の国府があったことによる。
国府があるということは、総社も存在していたのだが、今は残っていない。
次に向かったのは覚苑寺。
中国系の黄檗宗寺院で、萩の毛利家墓所がある東光寺と同じ宗派である。
長府毛利家の墓所もあるなど、毛利家とも縁のあるお寺である。
今の建物は、防府の同じ宗派の醍醐寺を1875年に移築したもの。
境内に乃木希典の像。
長府は乃木大将の出身地。
他に、絵師の狩野芳崖の像も置かれている。
功山寺と覚苑寺の御朱印。
覚苑寺に和同開珎の旧址の印が押されているが、奈良時代は貨幣の鋳造所が境内にあったことから、そこは遺跡に指定されている。
武家屋敷の通りを抜けて神社が集まるところへ。
乃木神社へ。
明治時代に活躍した乃木大将とその妻を祀っている。
社殿裏手に乃木大将の旧家が残されている。
「美保神社の御朱印帳なんですね。御祭神様も参拝したことがあるんですよ」
私の御朱印帳を見て、神社の方とこのお話から始まり、御朱印帳の最初の書かないページに住所と名前を書いたほうがいいとか、朱印の上には墨書きしない理由とか、色々貴重なお話を聞くことができた。御朱印は他の神社と合わせて後で。
乃木神社から歩いてすぐの忌宮神社へは裏側から入った。
長門国二ノ宮に位置付けられている。
天皇家14代目の仲哀天皇の時代にここに豊浦宮が置かれ、その跡地がこの神社となっている。
境内にある荒熊稲荷神社は、江戸時代に長府藩主が伏見稲荷から勧請したもの。
表側から出て長府の街中へ。
海側に歩いていくと、石垣の上に普通の住居。
ここはかつて大内氏の家臣の居城だった串崎城の跡で、一国一城令で破却されて石垣だけが残っていたという。
串崎城からさらに歩くと豊功神社。
社殿に毛利家の家紋が掲げられていて、歴代の長府藩主を祀っている神社である。
神社からの瀬戸内海の眺めが良かった。
2つの島は満珠・干珠島で、忌宮神社の飛地境内。
ここから日の出も眺められる。
長府で参拝した神社の御朱印。
どれも特徴があって、ありがたいものばかり。
長府の御朱印巡りはこれにて終了。
この後、バスで御裳川(みもすそがわ)に移動して、神社巡りが続きます。
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