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2022.04.10 春の広島旅2日目(2) 広島市内で御朱印めぐり [国内旅行]

このページでは、広島の平和公園以外に神社巡りをした話を。

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朝、平和記念公園に向かう前に参拝した白神社(しらかみしゃ)。

2つの大通りの角に面した小さな神社だが、元々は海に面していた時代に創建し、国泰寺に隣接したところだったが、原爆で一帯が消失して国泰寺は西の郊外に移り、ここまで小さい敷地になってしまったという。

朝一番で参拝した時、御朱印対応ができない状態だったので、昼過ぎに広島を離れる前に改めて立ち寄っていただいた。

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平和公園の後、広電に乗って向かった先は寺町。

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電停に近いところにある広瀬神社を参拝した。

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毛利輝元が郡山城から広島に拠点を移すにあたって、菩提寺の洞春寺の鎮守社としたのがこの神社。

原爆でこの神社も破壊されたが、戦後このように再建されている。

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広瀬神社から東に10分ほど歩いた太田川の手前にあるのが空鞘稲生神社。

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毛利輝元が広島城を築く頃には存在していた神社。

現住所は本川町だが、地名が整理される前の一帯は空鞘町と称していたとのこと。

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今回、広島でいただいた神社の御朱印はこの3社。

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次に向かったのは本通のアーケード街にある神社。

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胡町という地名の由来にもなっている胡子神社である。

三越が入っているビルの中に入っていて、三越の裏口が神社の右隣にある。

過去に1度参拝したことがあるが御朱印をいただけず、今回も神社の方不在で御朱印をいただけなかった。

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胡子神社から南に進んだところにある「とうかさん」で有名な圓隆寺へ。

1619年に創建された時に、初代住職が勧請した稲荷大明神を「とうか大明神」と読み、ずっと「とうかさん」の名で親しまれてきたという。とうかさんの大祭は広島で大きな行事の一つで、「ゆかた着始めの祭り」としても知られている。

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圓隆寺は日蓮宗のお寺。

よって御首題も書いていただけ、御朱印帳には「妙法」と書かれる。

 

こうして数時間だけだったが、広島中心街の御朱印巡りをして1泊2日の広島の旅を終了した。

広島市内の御朱印巡りは他に何度かしているが、広島市も範囲が広くて回りきれていないところがある。未開の地へはまたの機会に伺おうと思う。

 


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