2022.04.30 南紀・三重旅2日目(1) 湯ノ峰温泉・熊野本宮大社・新宮城 [国内旅行]
旅2日目の朝は和歌山県田辺市の湯ノ峰温泉からスタート。
朝食前に旅館の内湯に入ってから温泉街を散策。
旅館前の川に「つぼ湯」。熊野詣での時代から存在した風呂場で、世界遺産・熊野古道の構成の一つになっている。
昨日の土砂降りが嘘みたいな青空。
ちょうど新宮駅から奈良県の大和八木駅まで行くバスが通り過ぎて行った。
高速道路を通らずに一般道だけで日本一長い距離を走る路線バスである。
6年前に新宮駅から熊野本宮大社までは乗ったことがあるので、他の区間も乗ってみたいものである。
狭い道もお構いなしに路線バスは進んでいく。
湯ノ峰温泉の起こりは現在お寺のある東光寺辺りからお湯が出たところから始まり、人皇13代目の成務天皇の時代で日本最古の温泉とされているそうである。
公衆浴場は東光寺の右隣にある。
朝7時過ぎという早さではあったが、御朱印をいただくことができた。
旅館の朝食。さっぱり焼き魚定食を。
それにしてもこんな狭い道なのに路線バスがよく通り抜ける。
この坂の上にバスの折り返し場があって、新宮からの熊野交通の一部と田辺からの龍神自動車はそこで折り返している。
湯ノ峰温泉の宿を8時過ぎに出発して、車で10分ほど峠道を運転して熊野本宮大社近くの駐車場に到着。
まずは大鳥居を目指して歩くことにした。
周辺では田植えが行われていた。
その前に小さな神社だが、産田社に参拝。
大鳥居まで行ってよく見ると、八咫烏が描かれている。
大鳥居から先は大斎原(おおゆのはら)という熊野本宮大社のかつての境内に入る。
旧社地も世界遺産の構成の一つである。
森の中を進んでいくと、開けたところにたどり着く。
大斎原はかつての熊野本宮大社の旧社地。
明治22年に熊野川などの大洪水で社殿が流されてしまい、それまでは熊野詣での終着地はここだったわけだ。今は土台などしか残っていない。
大斎原を出たところにサッカー必勝の八咫烏の石碑と絵馬掛け。
朝9時前の熊野本宮大社近くの通りは静かだった。
もう少し遅い時間だと賑わうのだろうか。
ここから現在の熊野本宮大社の中に入る。
狛犬もコロナ対策。八咫烏のマーク入り。
白い幟が続く参道を歩いてその先には拝殿に続く階段を上る。
この先に様々な神様を祀る拝殿があるが撮影禁止。
ここは熊野三山の中心で、全国にある熊野神社の総本宮である。
境内にある郵便ポストも八咫烏仕様で黒かった。
熊野本宮大社でいただいた御朱印。
真ん中の「熊野本宮」だけ御朱印帳に書いていただき、その他は書置きの紙でいただいた。
「真名井社」だけ外れたところにあり車で向かったのだが、車を止める場所がなかったので参拝を断念。
熊野本宮から40分ほど運転して新宮の市内に戻り、神倉神社へ。
拝殿に行くには長くてきつい階段と山道を上ることになり、時間がないため、今回は麓の遥拝所で済ませた。すみません!!
レンタカー返却前に最後に立ち寄ったのは新宮城。
前日に阿須賀神社で新宮城の御城印をいただきながら大雨で行くのを断念していたので、この快晴の中を行くことができて良かった。
新宮の市街地の山上に存在する城跡である。
1601年に浅野氏が新宮の領主として入り、築城に着手したものの、途中で広島へ移封となって水野氏が領主となって明治維新まで代々領主を務めてきた場所である。
明治維新の廃城令で建物は全て取り壊されて現在に至っているが、石垣はしっかりと残されていて本丸まで上がって市街を眺めることができる。
新宮城から熊野川を眺められる。
川の向こうは三重県だが、江戸時代までは川の向こうの現在の紀北町までは紀伊国だったので領地は意外と広かったのかも。
何で熊野川から東側は三重県になってしまったのだろうかと思ってしまう。
これにて1泊2日のレンタカー旅はこれにて締めくくり、次のページでは新宮から松阪まで列車移動の旅の話になります。
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