2017.07.14 夏の北海道旅1日目(2) 映画の舞台の夕張・南富良野 [国内旅行]
羽田を朝9時に出発し、10時半過ぎに新千歳に到着。意外と近いものである。
北海道に何度も旅行していて、レンタカーを借りるのは今回が2回目。そして、新千歳空港で借りるのも今回が初めてである。
空港で荷物を引き取り、レンタカーのカウンターで受付を済ませて、送迎のバスで借りる場所まで行く。新千歳空港だと、借りる場所が遠いので、車に乗れるまでに30分もかかる。意外と面倒なものだな。
11時半前にレンタカーの営業所を出発。白ナンバーで一番小さい車種を予約したら、日産ノートになった。
道東自動車道に入り、「帯広」の方角に車を進める。高速道路とは言え、ほとんどの区間が片側1車線である。30分以上進んで夕張のインターで下りた。
私自身、初めての夕張である。
JR新夕張駅近くから、夕張の中心街を目指して北上する。紅葉山、清水谷以外は山の中を進む感じ。夕張は「市」とは言え、どこも閑散とした感じである。
やっと、最初の目的地の案内板が見えてきた。
「幸福の黄色いハンカチ 思い出広場」はこの交差点を右折する。
交差点を右折したところの踏切で、1日数本しか来ない列車に引っかかった。
坂を上ってこの広場に車を止めた。
山に囲まれて何もないように見えるが。
受付で入場料を払うところに、映画の監督と出演者のサイン。
当時の建物と映画のラストシーンを想像させるハンカチが多くかけられている。
建物内部は黄色い紙に覆われて、眩しいぐらい。
紙は来訪者が一言書いて貼り付けたものである。
映画で使用されたファミリア。
この時に運転していた武田鉄矢は、実際に運転免許を取ったのは随分後だったかと思う。
この頃からマツダの色は赤なんだな。
炭鉱業が盛んだった頃の家の中を再現させたもの。
映画のストーリーは釧路から始まり、北海道中を巡ったことになる。
新得町では、渥美清と高倉健の2人の大スターが来たということで、当時は大騒ぎになったらしい。
映画で使用されていたものも展示されている。
白黒写真は炭鉱業が盛んだった頃の夕張の様子である。
高倉健は素晴らしい俳優だった。
この映画が公開されてから今年でちょうど40年。長い年月が経っているが、駐車場は平日の昼間にもかかわらずほぼ埋まっていて、訪れる人が絶えない。それだけ名作映画だったということなのだろう。
次の場所に移動する途中、夕張の道の駅にて。
夕張を車で走っていると、道のあちこちで夕張メロンの直販が行われているのを見る。実際に道の駅で夕張メロンを見ると、いやぁ、とにかく高い!!! 桁が1個多いんと違うか?ってぐらい高い。というわけで、メロンを買うのは諦めることにした
高速道路を再び夕張から乗って、次はトマムで下りる。途中、車窓左手にトマムのリゾート地が見えたが、今回の旅行のテーマから外れるので、今回はパス。トマムのインターから北上して南富良野町の落合地区に入り、そこから西の方角に進む。今は高速道路があるので、車の通りは閑散としている。
南富良野町の幾寅駅で車を止めた。
駅舎の駅名板は「幌舞駅」になっているが、これは映画の設定のままになっているため。
駅舎に入ると、駅員は不在だが、ここでは映画のセットの展示がされていた。
1999年公開の「鉄道員」(ぽっぽや)である。
鉄道員も高倉健が主演で出ている。
数年前に亡くなったのは何とも残念である。
こんな感じで、駅舎内に展示されている。
こう見ると、高倉健って、体が結構大きかったのだろうか。
モントリオールの映画祭でも受賞。
1999年は、私がモントリオールに留学した1年前のことである。
映画の中では、このホームの上で列車の到着と発車を見守る駅員の役を高倉健が務めた。
また「幌舞駅」は設定の上では終着駅だが、実際の幾寅駅は根室本線の途中の駅である。
残念なことに、去年の台風被害で長い間運休が続いていて、利用者が極端に少ないので、最悪廃止になる可能性も残っている。
ホームと駅舎の間は階段になっていて、幾寅駅が舞台に選ばれたのは、映画のスタッフがこのような駅構内を探していて、マッチしたためだという。
駅前にはセットの建物が残されているほか、撮影に使われた列車も今はこのように廃車になって保存されている。
列車の中に入れて、中には出演者のサインが残されている。
「幸せの黄色いハンカチ」のセットは今回が初めてで、「鉄道員」(ぽっぽや)は2012年以来5年ぶり2度目の訪問である。当時は、美瑛からノロッコ号で行ったものである。当時の話は下記のページから↓
https://tantabee.blog.ss-blog.jp/2012-10-14
このあと、宿泊地の富良野市内へ。
夕方まだ時間があったので、ドラマの撮影地になった新富良野プリンスホテル周辺に行ってみます。
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