2018.04.14 春旅2日目(3) 御朱印めぐり広島市佐伯区 [国内旅行]
佐伯郡五日市町が広島市佐伯区になって何年が経ったのだろうか。
私が住んでた頃は五日市町で、佐伯区になる前に引っ越したので、佐伯区という地名にいまだに違和感があり、五日市という地名の方がしっくりくる。そんな街の御朱印巡りをした話を書きたい。
JRの五日市駅は明治時代から存在する駅。
そのためか、14両編成まで停車できるホームが今も残っているが、今走っているのは長くても8両編成。
五日市駅の改札を出たところに歴史的な案内。
小学校の時にこんな話をなんとなく授業で受けた記憶がある。
JRの五日市駅に隣接して広電五日市駅があるが、広電の駅はかつては楽々園寄りにあったと思う。JRの駅が橋上化した時に広電が移ってきたのだろうか。
五日市駅南口から出て、国道2号線・宮島街道を楽々園方面に歩いてたら、びっくり。
かつては小型の漁船が多く停泊していた港が埋め立てられていた。
明治時代頃までは確か塩田や塩風呂もあったと小学校の授業で学んだ記憶があるのだが、今や完全な住宅街。
かつての五日市港から海老山(かいろうやま)の方角に歩いてるとあるのが塩屋神社。
厳島神社の摂社として約1400年の歴史があるという。
御朱印を授与所でお願いした時に、「そこ、港でしたよね?」と聞いてみたが、「え? そうだったんですか?」と返されて、時代の変化を感じた。
境内社として竜宮神社と湯葢道空社。
五日市の「あまんじゃく伝説」ゆかりの神社。
塩屋神社の背後に海老山。
幼稚園、小学校、子供会の遠足で何度もこの山に行った。
砂利の部分はかつては港だったと思う。
港だった証拠が近くの建物に掲示されていた。
宮島街道まで戻り、湯来温泉行きのバスで五日市の奥地・河内まで移動。
温泉まで行ってみたかったが、これはまたの機会に。
河内の集落を進むとあるのが、河内神社。
大正時代に周辺の村々の神社を合祀してできた神社である。
右隣には戦没者を祀った招魂社もある。
御朱印をいただけると聞いていたが、あいにくこの日は書ける方が不在でいただくことが出来なかった。
五日市駅行きのバスに乗って、坪井公民館で下車。
五日市の観音地区は、私の中では住宅地というイメージが強いが、お寺がいくつもある歴史の街のようである。
公民館や保育園がそばにある観音神社へ。
903年創建で、比較的古い歴史がある神社である。明治時代に周辺の村々の神社を合祀し、更には昭和30年代にも合祀が行われて、社殿の移設も行われて今の形になったという。
御朱印も丁寧に対応していただいた。
左手の「観音しだれ」は桜が咲くと美しそうだ。
今回いただいた御朱印はこの2つ。
塩屋神社は書置きの紙での対応だった。
この後、広島造幣局の花のまわりみちに行きます。
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