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2018.06.23 東海道城めぐり 小田原城から興国寺城まで [国内旅行]

 急きょ日帰りで城めぐりをすることになった。ついでに御朱印。

 先月の中央道から新東名ルートの1泊2日城めぐりに続き、今回も車での城めぐりで、同行者も同じ。よろしくお願いします。

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小田原城へは、報徳二宮神社から入った。神社も城跡の一部で、他に城跡に子供向けの遊園地があったりする。


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真っ白な天守閣である。

元々の天守は明治時代に一度解体され、戦後に再建されたもの。

100名城のスタンプは建物内にある。

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建物の内部は数年前に改装された様子。きれいになっていた。

最上階からは、周辺を眺められるが、豊臣秀吉による小田原攻めの時にできた石垣山城(一夜城)はこの方角と示しているが、どれぐらいの距離なのかよくわからない。後で行くこととする。

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小田原の北条氏は元々伊豆を支配していた。この方角から支配領土を拡大していたことになる。

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城跡のそばをJRの東海道線、新幹線、箱根登山線が通っていて、少し向こう側には小田原駅も見える。当時の小田原城の敷地はもっと広かったと思われる。

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実際の小田原城はこんな形をしていたという。

江戸時代に小田原の藩主だった大久保氏は一時期佐倉の藩主でもあったという。佐倉と繋がっているというのも面白い。

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今回、続100名城に指定された石垣山城(一夜城)にも行ってみた。

ここへは交通手段がなく、上り坂をひたすら歩くか車で行くしかない。

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小田原攻めのために作られた「陣屋」だったが、石垣はしっかりとしていたようである。

これは、小田原城から立派に見えるようにしたため。

しかし、小田原攻め後は使われなかったのと、地震などであちこち石垣の崩落が目立つ。

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二の丸から本丸を見るが、こちらも石垣がほとんどなくなっている。

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本丸跡は木が生い茂っているが、当時は小田原城に見られてもいいように木を伐採していたという。

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展望台から小田原城がうっすらと見えた。

天気が良ければもっとはっきり見えたのだろうけど。

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この後、箱根湯本側に下りて早雲寺へ。

御朱印はいただけなかったのだが、寺の境内に梵鐘と鐘楼を発見。

梵鐘は鎌倉時代のものだが、一夜城でも使われていたそうである。

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箱根を経由して静岡県入り。

県境を越えてすぐのところにある山中城へ。

大雨の中、城跡を歩いて回った。

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こう見ると、道路を挟んで両側に城跡が広がっているのがわかる。

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過去2回訪れていて、今回初めて梅雨の時期だったもので、紫陽花がきれいに咲く場所だとは知らなかった。

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先日、テレビで山中城が紹介されていて、ワッフルのようなお堀だと紹介されていたが、これが山中城の特徴。敵が攻め入った時に、穴に落ちるとなかなか這い上がれない構造だし、敵が狭い隙間を歩いて行くことなるので、上から攻撃しやすいという利点もある。見た目以上にくぼみが深い。通称・障子堀。

スタンプは駐車場にある売店で押した。

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昼食は沼津市内で五味八珍の浜松餃子のセット。

静岡県に入ったと実感。

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日帰り城めぐりの最後は沼津にある興国寺城。

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城跡には穂見神社が建っている。

1857年に山梨県から住民が勧請して建てられたということで、当時ここには既に城がなかったので、城との縁は無いようである。

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神社の脇に続100名城のスタンプが置かれたポストがある。

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城の北側に土塁が残っていた。

この向こう側に新幹線が通っていて、もしかしたらその辺りも城の一部だったのかもしれない。

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神社裏の土塁から本丸を眺める。

創建年は不明だが、北条早雲が支配していた城だという。

北条氏滅亡後は徳川側の関係者が城主を務めたが、1607年に廃城となったとのこと。

歴史に埋もれていった感じのある城跡で、続100名城に指定されたことで今後周辺も含めて整備されていくことと思われる。

 

こんな感じで神奈川県西部から静岡県東部の日帰り城めぐりをしてきた。

次のページで、合間に参拝した神社の御朱印の話を書きます。


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