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2018.08.11 東九州旅1日目(3) 日南市 後編 [国内旅行]

日南市飫肥の市街に入ったところから話の続きを。

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飫肥城の東側に位置する田ノ上八幡神社へ。


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参道のクスノキが本当に大きい。

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何とも特徴のない社殿であるが、

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社殿の中を見ると、弥五郎様と呼ばれる御神体が。

秋のお祭りの際に街中に出てくるようである。

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神社の御朱印は社殿から階段を下りて右手の宮司宅でいただいた。

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大手門近くの無料駐車場に車を移動し、飫肥城の中へ。

今回で3度目の訪問である。

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本丸までの道は綺麗に整備されている。

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飫肥城の本丸は、今は小学校として使われている。

以前に訪問した時はこんな仕切りがなかったと思うが、観光客が増えてこうなったのだろうか。

続100名城のスタンプは、脇の資料館で押した。

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ここは旧本丸と呼ばれる部分。

今は一面飫肥杉に覆われた場所になっている。

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松尾丸も一部建物が復元されている。

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城下町もしっかりと整備されて古い建物が多く残されている。

この地を支配していた伊東氏は薩摩の島津氏との争いが絶えず、豊臣秀吉の時代にやっと領土が安堵され、以来明治維新まで伊東氏の時代が続いた。そんな街出身で明治時代に条約改正に貢献した小村寿太郎にまつわる資料館もある。

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飫肥から日南の市街に移動して吾田(あがた)神社へ。

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江戸時代初期に伊東氏によって再興され、明治に入って周辺の神社を合祀した歴史がある。

そんな歴史を感じさせる神社だが、参道の途中にある宮司さんの御宅は引越しをされて不在ということで、御朱印はいただけなかった。

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日南から油津に移動し、吾平津(あびらつ)神社へ。

寅さんの撮影の舞台にもなっていたようで、右手に看板が置かれている。

右手の女性の像は吾平津媛(あびらつひめ)で、神武天皇が東征する前の妻とされていて、この神社のご祭神である。

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狛犬ではなく、鶏が置かれている。

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奈良時代の創建の神社だが、最近建て替えられたのか、コンクリート造りの立派な社殿を構えていた。
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御朱印をお願いしている最中に、社務所の床下からネコちゃんが出てきた。

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日南市最後は南郷町の榎原(よわら)神社。

楼門が神社の歴史を感じさせる。

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鐘楼もある。

神仏習合の名残を感じさせる神社である。

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江戸時代に飫肥藩の藩主によって鵜戸神宮から勧請した神社である。

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社務所にはプロ野球西武ライオンズの色紙が置かれていた。

南郷町は西武ライオンズのキャンプ地である。

昼頃に訪れた鵜戸神宮の広島カープと言い、榎原神社の西武ライオンズと言い、どちらのチームも今シーズンは首位を独走している。ご利益にあやかりたいものである。

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吾平津神社と榎原神社の御朱印。

 

この後、日南市を抜けて、串間市、志布志市に入り、宮崎に戻って1日目を締めくくります。


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