2018.08.11 東九州旅1日目(4) 串間市・志布志市 [国内旅行]
日南市を抜けて、串間市に入るとあるのが串間神社。
創建年ははっきりしないが、島津氏の支援で再興した経緯があり、明治時代以降も周辺の街を含めた総鎮守としての役割を果たしていたようである。
御朱印は連絡先が分からず断念した。
串間市から更に進むと鹿児島県に入り、志布志(しぶし)市へ。
市内にある埋蔵文化財センターで志布志城の情報収集をする共に、続100名城のスタンプもここで押印。志布志城は総称で、時代の変遷とともに、主となる場所が少しずつ移動していたようである。
志布志市で御朱印をいただけそうな神社として、内陸部にある山宮神社に参拝した。
右手の大きな楠は天智天皇御手植とされ、志布志という地名は天智天皇が名付けたと言われている他、晩年を志布志で過ごしたとも言われている。
709年創建ということで、平城遷都の1年前からの歴史がある神社である。
茅の輪がまだ置かれていた。
また、かつては境内に鐘楼もあったそうだが、鐘は西南戦争で供出されて残っていない。
御朱印は宮司さんが仕事を終えてお帰りの直前に書いていただいた。
16時過ぎてて、遅い時間になって申し訳なかった。
山宮神社で御朱待ちをしていた時に、別のグループからお勧めされた市内の大慈寺に行ってみた。
臨済宗妙心寺派に属する寺院で、南北朝時代の1340年創建とされる。
歴代の住職は、中国と縁があったり、中世から幕末にかけて島津家との結びつきがあったりと、大きな影響力を持っていたようである。
幕末に活躍し西郷隆盛らに影響を与えた柏州和尚の墓地も境内にある。
お寺の境内は蚊が多いので、露出のある服装で歩く時は注意したい。
大慈寺の御朱印。
そして、最後に志布志城のスタンプを押したので志布志城まで車を走らせる。
埋蔵文化財センターで地図をもらったので、ここから地図をもらって中に進んでみたが・・・
雨上がりなのと登山道が整備されていない状態なのと、さらには地蜂がブンブン飛んでる状態で危険を感じて100mほど進んだところでこれ以上進むのを断念して引き返した。時期が悪い。残念。
あまり虫が飛ばない冬の時期が一番いいのだろうか。
志布志駅へ行ってみた。
宮崎方面へ1日8本出ている。
駅前から延びる通りは元々線路だったようで、かつてはこの向こう側に都城へ向かう志布志線と、鹿屋、垂水へ向かう大隅線が伸びていたが、どちらも1987年3月に廃線になっている。
志布志駅のホームは1つしかない。
ちょうど宮崎からの列車が入ってきて、10人に満たない人が降り、また折り返しで数人が乗車した。外国人も見られる。
昼食をとらないままここまで来たので、夕方5時半過ぎにこのラーメン屋で早めの夕食。
あっさりとした背脂豚骨のラーメンだった。
今まで九州で食べた白湯の豚骨ラーメンとは違うが、おいしく食べることができた。
また志布志に来たら食べたいと思う。
この後、宮崎まで2時間のドライブでレンタカーを返却。
宮崎空港からは日南海岸を進む形で志布志まで来たが、志布志から最短ルートは都城を経由するルートだという。黙々と下道を運転して、空港近くでガソリン給油して、20時頃に返却して1日目を終了した。走行距離219km。
翌2日目は宮崎駅から。城と御朱印めぐりは続きます。
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