2018.08.12 東九州旅2日目(3) 延岡市 [国内旅行]
宮崎から特急に乗って、延岡に15時半過ぎに着き、駅近くのホテルにチェックインして荷物を整理してすぐに延岡の街中へ。
アーケード街の脇に神社の入口があったので、上ってみた。
こちらは今山八幡宮へ向かう東側の参道である。
参拝後、裏手の今山大師に向かい、再び今山八幡宮を通って表参道から出る流れである。
長い階段を上ったところに今山八幡宮の社殿。
ここでは二拍ではなく、四拍手担っているのは、宇佐八幡から勧請したためとのこと。
旅の最終日に宇佐八幡を訪問する予定なので、貴重な話を得た。
ここでいただいた御朱印。有り難みを感じます。
今山八幡宮から更に坂道を上るとあるのが、今山大師の入口。
今山八幡宮が奈良時代からあるので、こちらも歴史が古いのかと思いきや、こちらは1839年に延岡城下の信徒の発願で高野山から弘法大師の御尊像を勧請したのが始まりという。
本堂裏手の弘法大師像は1957年に造られたもの。
台座から延岡の市街を眺める。
別の場所から市街南西側を眺める。正面の黒い建物が市役所で、右の山が延岡城址。
このあと向かう場所である。
御朱印は本堂脇の庫裏で書置きの紙でいただいた。南無大師遍照金剛。
今山大師を後にして今山八幡宮の社殿を通って、今度は表参道の階段から下りる。
階段を下りるとあるのが今山恵比寿神社。
九州三大えびすとされていて、毎年2月10・11日の十日えびすは多くの参拝客で賑わうそうだ。
立派な楼門をくぐって表参道の外に出た。
高千穂から流れてくる五ヶ瀬川を渡って右手の森を目指す。
ここから延岡城の入口。
南東側から入った。
ここに櫓があったということだろうか。
目の前に市役所。そして延岡の市街地。
案内図に沿って進むと、天守台跡に到着。
天守台跡に鐘楼が残っていて、1日6回今でも決められた時間に鐘が鳴らされるという。
この鐘は2代目で戦後に鋳造されたもの。初代は江戸時代に延岡藩主が今山八幡宮に寄進したものだったという。
天守台跡から見た南延岡付近。
左手海側に旭化成の工場が広がっている。
夕食は正面にあるイオンのフードコートでとった。
延岡藩最後の藩主・内藤政挙(まさたか)の像。
幕末から昭和にかけて延岡の産業、教育の振興に貢献したという。
延岡城址には櫓も天守も残されていないが、この石垣だけは必見。
一番下の礎石を外すと石垣が崩れて一度に1000人の敵を撃退できるという伝承から「千人殺しの石垣」と呼ばれている。高さ19m。
平成に入って復元された北大手門。
延岡城は江戸時代に入ってから築かれた城。藩主は高橋、有馬、三浦氏と続いて後半から内藤氏が引き継いで明治維新を迎えて廃城となり、内藤氏が城山を延岡市に寄付して今の城山公園になったという。
続100名城のスタンプは二の丸広場にある管理事務所の外で押した。
19時過ぎに延岡駅に行くと、建物の内部が見えて昼間とは違う美しさを感じた。
スタバと本屋と図書館と駅待合室が融合した結果である。
旅2日目はこれにて終了。移動も含めて内容の濃い1日でした。
翌3日目もまた濃い内容になりそうです。
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