2019.02.10 長崎旅2日目(5) 原城から口之津廻りで長崎へ [国内旅行]
島原からバスに乗ること1時間の原城前で下車したところから話を始めよう。
バスを降りた目の前から世界遺産に指定されたエリアとなっていて、この辺りはかつて原城の二の丸、三の丸があった辺り。
今はまわり一面ネギ畑が広がっているが、原城の二の丸があったとされるところで、島原の乱では一揆勢と幕府軍の激しい戦いがあったところである。
振り返るとこんな感じ。
空堀が残されている。
ネギ畑の向こう側に本丸が見えてきた。
原城は北有馬の日野江城の支城だったが、島原城が出来た時に廃城になったという。その
廃城となった原城にキリシタンの一揆勢が籠城し、長期戦の結果全滅し、最後はここで再び一揆が起きないように石垣が完全に破壊されたという。
島原の乱を主導した天草四郎の像が本丸に置かれている。
本丸に十字架。天草四郎の墓もここにあるが、原城に籠城したキリシタンが皆殺しされて、この城跡に埋葬されていたことが、のちの発掘調査で明らかになっている。
本丸から二の丸を眺める。
この一帯でキリシタンの一揆勢が籠城し、戦いが繰り広げられたわけだ。
本丸を後にして、次の場所へ向かう。
対岸は熊本の天草諸島。
島原の乱には対岸からも多くのキリシタンが加わったという。
原城跡から20分ほど歩いて、有馬キリシタン遺産記念館に到着。
ここで続100名城のスタンプを押したが、バスの時間がかなり押し迫っていて、中の展示を見ることなく資料館を後にした。
資料館は原城のすぐ近くか、原城からシャトルバスで行けるようにして欲しいな。
南有馬庁舎前のバス停でバスの時間まで5分あって、昼食をまだ食べていないことに気付き、バス停前の洋菓子屋さんで洋菓子を購入して腹の足しにした。
16時20分頃に加津佐海水浴場行きのバスに乗車。
15分ほど乗って、途中の口之津で下車。
諫早に戻るバスはここから出ていて、待合室もあるので次のバスが来るまで待機。
口之津から天草に行けるフェリーが出ているが、これに乗るのはまたの機会ということで。
この隙間がいかにも以前は島原鉄道の線路が通っていた感じ。
島原鉄道の口之津駅があったところは、今はバスの車庫になっている。
古いバスしかないところが、島原鉄道の経営が苦しいのを感じる。
口之津は戦国時代に異国船が漂着して、ここからキリスト教の布教が始まったという。
そして今は、韓国式ハイキングの九州オルレのスタート地点になっている。
口之津で30分待ちで乗ったバスは小浜までしか行かない。
とりあえずこれに乗って、小浜で運良く諫早行きに乗り継げることを期待しよう。
口之津から加津佐を通り、島原半島を反時計回りに海岸沿いを進む。
バスの一番前に座ってカーブの続く車窓を思い切り味わえた。
口之津から40分ほど乗って、昼間に下車した小浜に到着。
バスはここまでで、待合室に入って諫早行きのバスが来るのを待っていたら、数分で諫早行きのバスが入ってきた。ラッキーである。
小浜から50分ほど乗って、やっと諫早駅まで戻ってきた。
19時前で外は完全に真っ暗。
諫早から長崎まではJRの特急で20分の移動。
この区間は列車の本数があまりなくて、普通列車も途中で特急に追い抜かれたりして時間がかかることもあり、特急を選んだ。
19時半前にやっと長崎に到着。
2日目はこれで終了・・・と普段はなるのだが、ホテルにチェックインをして、今回の旅の最大の目的となる場所へ行ってみた。続きは次のページで。
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