2019.08.10 岐阜滋賀北陸旅1日目(1) 大垣の美濃赤坂 [国内旅行]
今回からお盆休みの国内旅行記を書きます。
国内は基本的に神社寺院の御朱印巡り、日本100名城、続100名城を中心に巡っているが、今回も基本的にこれらを中心に巡ることになる。
8月9日夜11時過ぎの東京駅八重洲南口。
今回はここから旅が始まる。
夜11時半発のドリームなごや号なのだが、乗る際に乗務員から言われたのが、
「道路の混雑で大幅に遅れる可能性がありますことをご了承願います」
とのこと。過去に何度か夜行高速バスに乗っているが、いずれもお盆休み以外の時期で、遅れて到着したことなんて1回もなく、むしろいずれも早着である。
予定では名古屋駅に翌朝6時14分到着となっていたが、朝6時の時点で浜名湖サービスエリア。
これでは名古屋駅に何時に着くのだろうかとかなり不安になってしまう。
元々の予定では、名古屋駅に着いた後で岐阜駅まで電車で移動して、岐阜駅で朝食を取るというつもりでいたが、このサービスエリアでパンを買って、バスの中で朝食を済ませた。
当初予定より1時間半以上遅れて7時50分過ぎに名古屋駅に到着した。
お盆休みに夜行高速バスなんて乗るもんじゃないな。
そして、名古屋駅からは鉄道の旅。
8時過ぎの米原行きに乗って大垣まで。
車内は座席が全部埋まり、立っている人もそこそこいるといった感じ。
大垣駅に8時半過ぎに到着し、駅のコインロッカーに大きな荷物を預けて大垣の寺社・城めぐりスタート。当初予定では大垣から美濃赤坂行きの電車に乗って終点まで行く予定だったが、電車の時間が全く合わないのと、美濃赤坂から30分近く上り坂を歩く予定だったのを考えて、時間短縮の意味もあってタクシーに乗車。バスもあったが、結局は目的地まで30分近く歩くことには変わらない。
今回の最初の目的地は、大垣の赤坂にある明星輪寺。通称・虚空蔵尊。
山の上にあって、タクシーの運転手にも「ここは車でも行きにくい」というところを入口まで2810円かけて行っていただいた。これにて、遅れを取り戻した感じ。
クマゼミが激しく鳴く中、参道を進む。
お寺の境内周辺は、こんな感じ。
虚空蔵尊が置かれている本堂まで歩いて数分。
堂内の奥の岩屋は工事中で途中までしか進むことができなかった。
本堂自体は江戸時代初期の再建であるが、持統天皇の勅願で建てられたお寺ということで、奈良時代よりも前からの歴史がある。
大垣からさらに奥に行ったところに西国三十三箇所のお寺があったり、このお寺といい、大垣周辺までは奈良や京都の影響が大きく及んでいたのが感じられる。
御朱印は堂内右手の受付でいただいた。
多くの仏像が置かれているお寺だった。
明星輪寺では、3種類の御朱印をいただいた。
明星輪寺から美濃赤坂駅まではずっと下り坂を歩いて行く。
麓の手前に赤坂の街並みが広がっている。大垣の中心街は写真奥の方になる。
赤坂まで下る途中、金生山神社という広い境内の神社があって、横に資料館があったので御朱印をいただけるのか聞いてみたが、扱っていないとのこと。
赤坂の市街地に入ったところにある子安神社へ。
こちらは日曜日の限られた時間のみ対応ということで、御朱印いただけず。
赤坂は中山道の宿場町だったところで、古い建物が今も通り沿いに多く残っている。
そんな宿場町の中にある日蓮宗の妙法寺を参拝。
法事の時期ということもあり、御首題は後日郵送ということになったが、急な訪問にも関わらず、冷たいお茶まで出していただき、ありがとうございました。
後日いただいた妙法寺の御主題。
丁寧に書いていただき、ありがとうございました。
妙法寺から歩いて数分の美濃赤坂駅へ。
東海道本線だが、大垣から枝分かれした支線の終着駅である。
駅員はおらず、切符の券売機も置かれていない寂しい駅だった。
2両編成のワンマン電車。
ICカードも非対応なので整理券を取って乗車し、9時56分に出発した。
美濃赤坂から2分ほどで荒尾に到着。
運賃140円は運転手に渡して下車。
荒尾駅から歩いて数分の御首神社へ。
平将門を祀った神社や伝説は千葉や茨城あたりに見られるが、岐阜のこの地で見られるとは思いもしなかった。平将門の乱で京都で晒された将門の首が、関東の方面に飛んでいき、それをこの地で射止めて落としたという伝説があり、その時からの神社である。大垣市内に「矢道」という地名があるが、それも将門の首を射落とすために矢が通った道という意味があるとのこと。伝説由来の地名とは面白い。
首から上にご利益がある神社ということで、絵馬には「首」と書かれ、他に祈願のために帽子を奉納する場所まである。
御首神社の御朱印。
この後、荒尾から電車で1駅の大垣へ。
続きは次のページです。
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