2019.10.11 秋の山陰旅1日目(3) 米子の神社と米子城 [国内旅行]
境港を離れて南進すると米子市に入る。
まずは、大篠津町にある和田御崎神社へ。
境内に稲荷神社も併設していて、赤い鳥居がずらりと並ぶ。
御朱印は左手の社務所でいただいた。
更に南進すると、平地が広がる米子の街中に小さな山が目立っているところがある。
ここに粟嶋神社が置かれている。
神社の授与所は山の麓に置かれているが、
社殿は山の頂上に置かれている。
ご利益を得たいなら山頂までお参りしたいもの。
粟嶋神社の扁額は若槻礼次郎によるもの。
島根県出身の大正末期と昭和初期に総理大臣を2度務めた男爵である。
神社本殿裏手から中海が見える。
対岸は島根県。
余談だが、粟嶋神社のある村で、かつて88歳の老人が初めて子どもを授かり、子孫繁栄したという伝説があり、「八十八」という漢字が「米」に転じ、88歳の子という意味から「米子」という地名になったと言われていて、ここ粟嶋が米子という地名発祥の地とされている。
粟嶋神社の御朱印。
車を15分走らせて米子の中心街へ。
城跡近くの無料の駐車場に車を止めて、米子城の本丸を歩いて目指す。
麓の公園にはD51が保存されている。
山陰本線などを駆け抜けた機関車である。
ここから天守跡まで15分ほどの山登り。
この辺りが中間点だろうか。
石垣が残っていて城跡らしくなってきた。
内膳丸と呼ばれるところ。
山の中腹に残っている。
本丸の石垣がしっかりと残されている。
1591年に築城が始まって、江戸時代の間にこのようなしっかりとした石垣となったようである。
そして、本丸からの市街の眺め。
本丸には建物は休憩小屋しかない。この時、昼の12時半ということで遠足に来ていた幼稚園児が昼休み中で、休憩小屋にあったスタンプを押しているときに囲まれて、「ねぇ、何してるの?」と色々聞かれる状態に(笑)
帰り際、よく見ると、園児が石垣を登ろうとしている。元気だ。
違うルートで麓に下りる。
手前の広場は米子城の二の丸跡、奥に見える野球場は三の丸の跡。
何故違うルートから下りたかと言うと、下りたところに神社があるため。
賀茂神社天満宮である。
京都の上賀茂神社から勧請したと伝えられ、近くを流れる加茂川、賀茂の浦などの地名はこの神社から来ているのだろう。それぐらい古くからある神社である。また、天満宮は戦後に市内の天神町にある神社を合祀したことからこの神社の名称になっている。
御朱印は書置きの紙でいただいた。
次に向かった先は、米子市立山陰歴史館。
近くの米子市役所に車を止めて、歩いて数分のところにある。
ここで米子城の御城印をいただいた。
米子城に関する常設展も行われていたが、次の場所に向かう関係でここはパスした。
なお、米子市役所に車を止めた場合は、ここで駐車券の提示をして無料にする手続きを忘れずに。
山陰歴史館の向かいにあるラーメン屋で昼食。牛骨ベースのラーメンだった。
米子で最後に向かった先は、淀江町にある寿城。
明治維新で廃城になった米子城をモデルにしているという観光施設である。
中は観光客向けのおみやげ屋と、寿製菓の製造ライン。
旅の初日ということもあって、ここでは何も買わず。お菓子は帰りの空港か鳥取駅で買うことにしよう。
最上階は展望室になっているが、曇り空で大山を見ることはできなかった。
この後、島根県に入って安来の山奥へ。
続きは次のページで書きます。
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