2020.07.13 梅雨の北陸旅2日目(1) 羽咋、七尾 [国内旅行]
朝7時半過ぎに高岡のホテルをチェックアウトして、次の場所を目指す。
月曜朝ということで、通勤客以上に学生さんの姿が目立つ高岡駅からスタート。
7時43分発の金沢行き普通電車は高校生を中心に乗っていてかなりの混雑。
途中の福岡、石動(いするぎ)で大量に下車したものの、そのさきの県境越えをする通勤客で座席が全部埋まっている上に立っている人もそこそこいる。
富山県側から金沢に通勤する人って結構いるもんなんだな。
高岡から30分弱の津幡でこの電車を降りた。
高岡から津幡まではICカードで乗ったが、津幡から先のJR七尾線はICカード非対応のため、津幡で一度改札の外に出た。津幡にMISIAの森なんてあるのな。
津幡で16分待ちで七尾行きに乗り換え。
製造から50年近いボロボロの車両に当たった。
津幡を離れると車窓はこんな景色ばかり。
津幡から30分ほどで羽咋(はくい)に到着。
駅のホームにサンドアートあり、
ジャーン!!
何だこりゃ???
こんな広告も。
羽咋を電車で初めて訪れた者からすると、何とも変テコな街だという印象を受ける。
そんな羽咋の駅で自転車を借りて気多大社まで往復することにした。
ただ、羽咋駅にはコインロッカーがなくて、自転車を貸してくれた駅も荷物を預かってもらえなくて、自転車の前のカゴにキャリーバッグを入れて(うまいことスポッと入った)移動開始。
駅から数分の市街地の中に羽咋神社。
平安時代の延喜式に載っている神社である。
社殿は1832年に建てられたもの。古墳の上に位置する。
御朱印をお願いしようとしたが、玄関は空いているのに誰も出て来ず、いただくことができなかった。
羽咋駅から4km、途中少しきつい坂道があって自転車を降りて歩いて押すところもあったが、自転車を借りて20分ほどでここまで到達。
通りから神社の鳥居までの上り坂がきつくて、最後もやはり降りて歩いて押して気多大社に到着。
能登国が越中国の一部であった頃からの一宮である。
万葉集にも登場するほか、加賀藩の代々の藩主の崇敬も受けてきた。
拝殿の左側は1569年に建てられた若宮神社、右側に1787年に建てられた白山神社。
真ん中の拝殿は1653年築とどれも古い歴史がある。
気多大社の御朱印。ここは能登一宮である。
気多大社に隣接して神宮寺だった正覚院がある。
718年創建ということで、奈良時代から存在するお寺で、平安時代に入ってから気多大社の神宮寺という扱いになる。そして明治維新の神仏分離で神社とは独立したお寺になるという歴史がある。
正覚院の御朱印。
羽咋駅に電車の出発10分前に戻ってきた。
持ち時間1時間40分ほど。もう少し時間に余裕が欲しかったが、電車が1時間に1本なのは厳しい。
10時51分発の七尾行きで終点七尾を目指す。
七尾まで基本的にこんな景色。
七尾の少し手前から市街地が広がって、羽咋から20分ほどで七尾に到着した。
七尾駅で荷物を預けて、まずは七尾市役所へ。
本来なら七尾城の麓までバスに乗って資料館に立ち寄って日本100名城のスタンプを押して七尾城に登るのだが、天気があまり良くないこともあり、今回は七尾市役所でスタンプを押して済ませた。
100名城1巡目の時に七尾城の本丸まで歩いて登っているので、今回はパスとしたい。
七尾市役所から東に歩いて数分の大地主神社。
718年に近江の日吉大社より勧請して山王社としたのが始まり。
そして明治時代に京都の八坂神社を勧請した神社を合祀して今の大地主神社になったという。
この神社が執り行う曳山行事がユネスコの無形文化遺産に登録されているので、見てみたいものである。
大地主神社の御朱印。
港町・七尾に来たので、七尾駅から徒歩圏内の道の駅に最後に立ち寄った。
ここは海産物を扱ったお店がいくつか入っていて、お土産に乾物を購入。
お客さんがそんなにいないからか、値引きまでしてくれてありがたかった。
この後、金沢に特急で入り、今回の旅を締めくくります。
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