2020.12.29 愛知旅4日目(2) 名古屋・若宮八幡社、大須観音辺り [国内旅行]
栄の西側の繁華街を南下したところから御朱印巡りの話の続き。
若宮八幡社に参拝。
神社に北側から入ると、様々な摂社。
元号が大宝の時代(701-704年)に創建(奈良時代は710年から)と言うことで、かなりの歴史がある。
織田信秀による那古野城攻略で焼失して後に再建され、徳川家康による名古屋城築城で現在地に移転し、戦時中に空襲で焼けて戦後に再建・・・と災難続きの歴史である。
社殿前に奉納された牛のチェーンソーアートが見事だった。
今回、若宮八幡社でいただいた御朱印は4種類。
今回はこれだけだったが、時期によって期間限定の御朱印が登場するとのことで、次回名古屋を訪問する際は事前に情報を仕入れておきたい。
通りを挟んでここから大須の繁華街の中へ。
商店街に入る手前にある三輪神社に参拝。
戦国時代に奈良からこの地にあった城に移ってきた城主が三輪山の大物主を祀ったのが始まりとされている。神社の境内に尾張藩の矢場があって、それがこの地の地名の由来になっている。
御朱印はたまたま書き置きの紙でしか対応しない日に当たってしまい、翌日なら書き込み対応するとのことだったので、翌朝に改めて参拝することにした。
ここから大須の繁華街。
賑やかな通りに面して万松寺がある。
ビルに埋め込まれていて、入口からはお寺とは思えない感じがする。
右手の白い昇り竜が印象的。
織田信秀(信長の父)が織田家の菩提寺として建立し、当時は名古屋城の南辺りにあったが、徳川家康による名古屋城整備で今の場所に移ってきたという。
万松寺の御朱印。いくつかあるデザインの中から、この2つを選んだ。
大須の商店街を南進して抜けたところにあるのは春日神社。
御朱印は宮司がいない神社で対応していないとのこと。
歴史がある神社なのに何だか残念である。
大須の街を抜けてさらに南にある日置神社へ。
平安時代の延喜式に載っている神社。
御朱印をいただけると言う話があったが、社務所不在で今回はいただけず。
日置神社から大須観音に向かう途中にある七寺に立ち寄った。
奈良時代に行基によって今の愛知県あま市に創建され、後に今の稲沢や清洲などを移転しながら規模が大きくなり、徳川家康によって今の場所に移転した時は七堂伽藍を有する広い境内だったという。明治以降、敷地が少なくなり、戦時中の空襲で敷地の建物が全て焼失して再建するほどの財力がなくて再開発でほとんどが大須の商店街の一部になってしまって、残ったのは街のごく普通のお寺の建物だけという状態。ここに本尊などいくつかの仏像が置かれている。
七寺でいただける3種類の御朱印のうち、この2種類をいただいた。
大須の東西に伸びる商店街に入る手前にある富士浅間神社。
1495年からの歴史のある神社だが、ここも御朱印を扱っていないとのことだった。
商店街を抜けたところにある大須観音へ。
元々は今の岐阜県羽島市大須にあったお寺で、鎌倉時代末期に後醍醐天皇が帰依していた能信上人によって創建され、徳川家康が名古屋城を整備するにあたってお寺をこの地に移転して現在に至っている。
大須観音の御朱印。
大須観音の後は西の方角にある洲崎神社へ。
境内社に参拝すると、こんなところでネコちゃん発見。
ビルに囲まれた中に小さく存在する神社。
様々な神様が祀られていて、現在の洲崎神社になったのは明治の終わり頃だという。
洲崎神社では2種類の御朱印をいただけた。
この日、最後に参拝したのは白龍神社。
1603年創建という他の神社と比べて歴史が浅く、現在の場所には戦後の都市計画によって移って来ている。
白龍神社の御朱印は書き置きの紙でいただいた。
1日丸々名古屋市内の御朱印巡りだった。
名古屋もかなり広いので、前日から動いているが全然まわりきれていない。
次の日が最終日になるが、主だったところでまだ行けていないところに行って締めくくることになります。
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