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2021.03.11 河内旅 千早城・観心寺・長野神社 [国内旅行]

 当初は2月11日から14日にかけて行く予定だった京都旅行を1ヶ月ずらして行くことにした。この時は、出発地も到着地も緊急事態宣言の発令中で、行っても面白味が減る可能性があったのと、予定を後にずらせるものは後ろにした方がいいという思いから、そのようにした。

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ちょうど1ヶ月後の3月11日旅行実行。2月末の遠出は人に会う予定があり、それも大事な親戚だったので事前にPCR検査を受けて陰性証明書を携えての旅行となったが、今回は特定の人に会う予定を入れてなかったので、検査なしで旅行となった。


朝の東京駅からスタート。

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朝7時8分発の新幹線のぞみ号で出発。


2月から変更した時に、初日に大阪に行くことを思いつき、成田発関空行きの朝一番のピーチ便を予約していたが、コロナで欠航になってしまい、急きょ新幹線で新大阪まで行くことに変更した。


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富士山の眺めが見事だった。


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伊吹山の山頂に僅かに雪が残っていた。


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新大阪で下車して、地下鉄で難波まで移動して、35年ぐらいぶりに南海難波駅へ。


阪急の梅田駅は何度か来ているが、南海難波駅は前回、父親に連れられて岸和田にだんじり祭りを見に行った時以来だと思う。


千代田、三日市町って、全然場所わからない。


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こんな車両が走ってるんだって感じ。古い車両を長く使うところは関西私鉄の特徴だろうか。


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難波から区間急行で30分ちょっとの河内長野で下車。


初めてこの駅で下車したが(そもそも南海高野線を利用すること自体初めて)、盆地の中の開けた街という印象がある。


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河内長野駅から金剛山ロープウェイ行きに乗車して、金剛山登山口で下車。


ここから千早城跡にある千早神社を目指して歩く。


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とにかく長い上り階段が続く。


久しぶりの山歩きで、途中何度も足を止めながら歩き続ける。


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15分歩いてやっと中腹に到着。ここまで来ればもう少しである。


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もう数分ほど上り階段を歩き続ければ本殿だ。


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千早城跡に建てられた千早神社に到着。


麓のバス停から歩いて25分かかったことになる。


千早城は鎌倉時代の末期に後醍醐天皇側についた楠木正成と鎌倉幕府の北条氏が激しく戦ったところで、最終的には楠木氏側が勝って鎌倉幕府が倒れるきっかけとなっている舞台である。


そんなことから、勝負運のパワースポットとして売り出しているようだ。


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日本100名城のスタンプと千早城、千早神社の御朱印は、麓の食堂兼売店にあるとのことで、そこを目指して別ルートで麓に下りた。


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そのスタンプや御朱印がある場所で昼食にちょうどいい時間になったので昼食にカツカレー。


生卵まで出てきた。


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千早神社と千早城の御朱印は書置きの紙でいただいた。


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金剛山登山口から河内長野駅行きのバスに乗って、途中の観心寺で下車。


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お寺に入る前に楠木正成の騎馬像。


楠木家の菩提寺であり、8歳から15歳までこのお寺で学問を学び、湊川の戦いで敗れた後に足利尊氏によって首級が届けられて境内に首塚も存在する。


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観心寺の境内は梅の花が綺麗だった。


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金堂は建武の新政時代(鎌倉幕府倒幕から室町幕府設立まで)に後醍醐天皇の名を受けて造営されたもの。


お寺自体は701年に修験道の役行者によって開かれて、本尊は平安時代に空海によって作られた如意輪観音菩薩(国宝)で4月の限られた日にしか見ることができない。


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楠木正成の首塚は丁重に管理されていた。


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観心寺の御朱印。


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河内長野で最後に立ち寄ったのは駅近くの長野神社。


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長野神社という名称になったのは、明治時代になってからだが、今の本殿は今から500年くらい前の室町時代に建てられたもののようで、それよりも前から神社は存在していたようである。


かつては大阪や京都から高野山を目指す人々がこの街を通過していたということで、古くからこの辺りは賑わっていたようである。


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長野神社の御朱印。


 


この後、大阪に戻り、夕方まで今宮から難波あたりの神社を巡ります。


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