2021.04.03 東京・北区王子周辺の神社巡り [国内旅行]
半日かけて東京都北区の神社を巡ってみようと思いついたので、土曜日の昼間に行ってみた。
京浜東北線の上中里駅を下車したところからスタート。
平安時代後期の創建。
平塚という名称は、源義家がこの地の領主に甲冑を納め、のちにそれを埋めて塚を作ってそこにお城を築き、平塚と呼ばれるようになったのが始まり。
平塚神社の御朱印。
武芸上達とあるのは、源義家が前九年の役・後三年の役など様々な合戦での武功があるため。
次に向かった先は城官寺。
真言宗のお寺で本山は奈良の長谷寺。
御朱印は寺務所の玄関前に用意されていて、そこで日付をペンで記入する形。
(写真なし)
城官寺の次に無量寺に向かったのだが、来るなと言わんばかりの案内が入口前に書いてあったので、中に入るのはやめた。写真掲載も厳禁ということなので、多分二度と伺いません。
無量寺から王子方面に歩いたところに大きな鳥居。
七社神社に向かう。
元々は無量寺の境内にあった神社だが、神仏分離で一本杉神明宮の社地だったこの地に移された歴史がある。
孔子・孟子像が置かれている。
神社の扁額は渋沢栄一によるもの。
明治に入ってこの地域に転居してきて、神社の氏子となった縁がある。
社務所も渋沢栄一の寄進により建てられた。
神社の狛犬にも特徴を感じる。
七社神社の御朱印。
渋沢栄一と縁がある神社ということで、青いスタンプが押されている。
七社神社から少し歩くと飛鳥山公園に入る。
渋沢栄一にもご挨拶。
公園内には渋沢栄一絡みの建物がいくつかあって、そのうちの一つは今は大河ドラマ館として公開されている。ドラマが進んだところで一度中に入ってみたい。
それにしても飛鳥山公園の人出は花に誘われてか多かった。
緊急事態宣言は出てない時だったけど、宣言出たら行くところがなくて公園は更に密になるだろうね。
飛鳥山の石碑。
徳川吉宗が将軍だった頃に飛鳥山が公園として開放された際に置かれたものだという。
王子駅に近いところにある装束稲荷神社。
王子稲荷神社の摂社で、榎の大木があったところに建てられたが、今はその榎の大木は存在しない。
装束稲荷神社の御朱印は神社向かいの商店に書置きの紙が用意されている。
毎年デザインが更新されていて、過去のものも選ぶことができたので、今回はこの2種類を選んだ。
JRの線路を通り抜けて西側にある王子稲荷神社へ。
この門をくぐって階段を上る。
キツネだって感染対策をする(笑)
社殿は徳川11代将軍家斉の寄進によるもの。
平安時代に源頼義によって関東稲荷総鎮守と位置付けられ、戦国時代は北条氏、そして江戸時代は徳川氏の崇敬を受けてきた。
王子稲荷神社から南に数分歩いたところに王子神社。
東京十社に位置付けられているだけあってか、石柱に重みが感じられる。
1322年創建ということで、鎌倉時代末期である。
領主の豊島氏が熊野権現から王子大神を勧請して若一王子宮としたのが始まりで、王子という地名の起源にもなっている。
豊島氏の後に領主となった小田原北条氏や江戸時代の徳川氏の厚い崇敬を受けて発展してきた。
今の社殿は戦時中の空襲で焼けた後に再建されたもの。
王子神社境内にある関神社。
蝉丸を祀っていて、カツラや理容業界の崇敬を受けている。
数週間前に大津で蝉丸神社を何箇所か参拝したばかりだったので、まさかこんなところにも蝉丸を祀っているところがあるとは思いもしなかった。
王子神社と王子稲荷神社の御朱印。
王子神社は「しぶさわくん」のスタンプ付き。
王子神社から次の神社に向かう途中に「撫でてよ!!」と書いてある神社。
ここは四本木稲荷神社。
元々は陸軍工廠の中にあった神社のようである。
賽銭箱が置いてなくて、何だか不思議な雰囲気の神社だった。
御朱印いただけないようで。
そして、最後は滝野川八幡神社。
拝殿は大正時代の改築、後ろの本殿は明治時代に改築されたもの。
「胡蝶しのぶ産土神」と書かれているが、漫画の「鬼滅の刃」に出てくる胡蝶しのぶさんの出身地が滝野川という設定なので、人気にあやかっている。
滝野川八幡神社の御朱印は数種類用意されていた。
漫画を連想させるデザインである。
午後から半日で巡った東京北区王子周辺の御朱印巡りはこれにて終了。
大河ドラマがある程度進んだら飛鳥山公園にはもう1回行ってみたいものである。
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