2021.07.03 山陽旅1日目(1) 三原のお城 [国内旅行]
1泊2日で山陽方面に城めぐりすることを思いついた。コロナ禍ではあるが、感染しないよう心がけるとともに、今回も事前にPCR検査キットを購入して検査機関に送付して陰性であることを確認した上での出発となった。
今回、初めて広島行きに搭乗。
広島へは何度も行っているが、広島の市内だったら新幹線のほうが便利だし、宮島や岩国方面も昔は広島まで新幹線でその後は山陽線に乗り換えて行った方が便利だったけど、今は岩国空港ができたのでそちらの方が断然便利。
そんなわけで、現在の広島空港(昔は太田川放水路の河口付近にあった)になってから使う理由がなかったのはそんな理由でして。
離陸してからずっと雲の上を飛んでいたが、2枚目の写真のように時折地上が見えるところがあって、ここは琵琶湖の上空。右側には京都の市街地も見える。
8時20分過ぎに広島空港に到着。
A321でいつもより小さな機体だったからか、結構混んでたな。
これを見ると、広島に来た感じがする。
広島空港からの接続が悪く、最寄りのJR駅までのバスは30分待ちで、JRの駅でさらに30分待つ。
これから向かう先へのバスもあるが、ちょうどいい時間のバスがコロナで運休で、2時間も待たなければならない。その目的地まではバスで15分ほど。
いろいろ考えて、少しお金はかかるが、時間勝負の1日になりそうなので、タクシーで本郷駅まで移動。3400円ほどかかったが、いい時間短縮になった。
駅の近くにある生涯学習センターを訪問。そこで新高山城のスタンプを押し、お城の情報も得て出発。
生涯学習センターを出て、沼田川に架かる橋を渡り、目指すは正面左側のお城。こちらが新高山城である。
途中から登山道に入る。道は整備されている方だが、前日の雨でぬかるんでいるところがあり、所々歩きにくかった。
城の構成を成していると思われる場所には説明の看板も建てられていて分かりやすい。
本丸に上がる手前。
ここも石垣があったようだが、小早川氏が三原城に拠点を移すときに石垣を持ち出したようである。
生涯学習センターから40分以上かけて本丸に到着。
見た目近そうだったが、傾斜がきついところもあったりして意外と時間がかかった。
1552年に小早川隆景が沼田川の対岸にあった高山城から拠点を移したのが始まりで、三原城に拠点が移るまで小早川氏の居城だったという。
本丸の先に麓を見渡せるところがあり、そこには石仏が多く並べられている。
新高山では石垣用の石が多く採れたようである。
新高山城からの眺めが見事。
沼田川を挟んで左側の山に高山城があった。
正面に見える市街地は旧本郷町で今は三原市の一部。この中にある本郷駅から生涯学習センターを通って、ここまで歩いてきたわけだ。
真下には新幹線が通り、川の左岸をJRの山陽線が通る。ちょうど新幹線と貨物列車を同時に撮ることができた。
少し待つと、普通電車が通過する様子も撮れた。
正面左側の新高山城から下りて、本郷駅に戻る途中にあるバス停からちょうど三原駅行きのバスがあると言うことで、JRを使わずにバスで移動。
このバスは広島空港で2時間待っていたら乗れたバスである。
途中、道路渋滞があって、三原駅まで30分以上かかった。
移動中は雨が降ったりもしたけど、駅に着いたらこんな感じで日差しもあってかなり蒸し暑かった。
三原駅の南口は立派な駅舎で開かれた感じ。
その駅舎を通り抜けて反対側に行くと、三原城の入口に繋がっている。
三原駅の裏側は三原城の天主台だったところ。
天守閣は置かれなかったという。
三原駅は三原城の南側を潰すように設置されている。お堀も海側まで繋がっていたのだろうな。
駅前の広場から見た天主の石垣はこんな感じ。
北側から見るとこんな感じでお堀が北側だけ残っている。
小早川隆景が新高山城から拠点を移して城下町を完成させ、関ヶ原の戦い以降は福島氏、そして浅野氏と広島城の支城として機能して明治維新を迎えたという。
三原駅の北西側に小早川隆景の像も置かれている。
新高山城、三原城共に続100名城に認定されていて、三原城のスタンプは三原駅の中にある観光案内所で押した。
御城印は三原駅の観光案内所で新高山城のものも合わせて購入。
この後、三原市内の神社巡りです。
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