2021.07.03 山陽旅1日目(3) 福山のお城と神社 [国内旅行]
福山駅に15時すぎに到着し、ここからお城と周辺の神社巡りスタート。
それにしても黄色い電車ばかり。
まずは福山城。
伏見城にあったものを徳川秀忠が移築させたという伏見櫓。
こちらも伏見城から移築させたという筋鉄御門(すじがねごもん)。
こちらは鐘楼。
3つの建物の位置関係はこんな感じ。
そして、天守閣を見てみると、何ともがっかり。
現在、耐震工事中で2022年8月下旬まで中に入れないとのこと。
こんなところにまでカープ坊やを動員させやがって(笑)
石垣がしっかり残っていて、いかにも江戸時代のお城である。
大坂夏の陣の後の1619年に中国地方を見張る拠点として築かれ、親藩の水野勝成が初代城主として送り込まれている。
こんな状態ではあるが、日本100名城のスタンプと御城印は城内の事務所でいただいた。
武将印なんてのもあったが、集めていないので今回はパス。
福山城内の北東に位置する三蔵稲荷神社へ。
水野勝成が福山城を築いた際に建てた神社である。
この時期なので、茅の輪も置かれていた。
三蔵稲荷神社では、石鎚神社の御朱印もいただけた。稲荷神社拝殿の左手奥にある境内社である。
三蔵稲荷神社の北側にある備後護国神社へ。
石柱には阿部神社と書かれている。
境内には宮本武蔵の腰掛石。
大坂夏の陣で宮本武蔵は水野勝成の軍に参戦した縁があり福山城へ。
この石は後に水野家がお家断絶になった後の阿部氏の時代に家老の家に渡り、明治維新以降は当時の阿部神社に寄贈されたという。
阿部氏の中で、歴史の教科書に出てくる人物と言えば阿部正弘。
日米和親条約締結を担った筆頭老中である。
社殿脇に石像が置かれていた。
今は備後護国神社として戦争の英霊を祀る神社となっているが、以前は水野家の後の阿部家代々を祀った神社であった。
社殿からまっすぐ伸びる参道を歩いて出ると、こちらの方が護国神社な感じがする。
御朱印は2種類あり、かつての阿部神社のものと今の備後護国神社のもの両方。
御朱印をお願いしている間、番犬がわんわんうるさいこと(笑)
三蔵稲荷じんじゃから北の方角に歩いたところに福山八幡宮。
階段を上がったところに社殿が3つ並んでいて、東御宮と西御宮に別れているが、どちらも祀られている神様は同じである。
元々は宇佐八幡宮から勧請した東御宮と、鶴岡八幡宮から勧請した西御宮ということで、場所も別々の場所にあったという。江戸時代の水野氏の時代に今のように横並びの神社として移転して造られ、今に至っている。
西御宮の左手には水野勝成を祀った聰敏神社も置かれている。
最後に参拝した神社は、福山八幡宮から東に進んだところにある艮神社(うしとらじんじゃ)。
お寺に囲まれた中にある神社である。
平安時代に藤原氏の荘園があった頃からの神社で、福山最古の神社とされている。
神社の社名は明治以降から使われているが、福山城の北東・艮(うしとら)の方角にあって、鬼門除けの神社とされてきた歴史がある。
御朱印は福山八幡宮では書いていただいたが、艮神社では期間限定ものを紙でいただいた。
この後、夕方の鞆の浦の街へ行ってみます。
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