SSブログ

2022.04.09 春の広島旅1日目(3) 郡山城から広島へ [国内旅行]

diary_22040943.jpg

甲立で芸備線の列車を降りて、バスに乗り換えて吉田を目指す。

40分ほどの接続があったが、せめて甲立駅のロータリーにバスが立ち寄るぐらいして欲しいな。

このバスは土曜日は走っているが、日曜祝日は全便運休。


diary_22040944.jpg

15分ほどバスに乗って安芸高田市役所で下車し、さらに数分歩いて安芸高田市歴史民俗博物館に到着。

日本100名城に指定されている郡山城のスタンプがここに設置されている。

diary_22040945.jpg

博物館では毛利氏の居城だった郡山城の紹介と、毛利元就の教えが元になったサッカーJリーグのサンフレッチェ広島についての紹介がされている。

diary_22040946.jpg

ここから郡山城に向けて歩くことにした。

diary_22040947.jpg

前回訪問時は2月か3月で、少々寒かったように記憶する。

今回は4月上旬の桜のお花見がまだ楽しめる暖かい日に当たった。

diary_22040948.jpg

ここから郡山城内の山道。

diary_22040949.jpg

この先に毛利元就とその一族の墓所がある。

かつてはここに洞春寺というお寺があり、毛利元就本人とその前の世代の墓所が残っている。

毛利元就の長男・隆元の墓は、山道の入口あたりにある。

diary_22040950.jpg

毛利元就の墓の裏手から郡山城に向かう山道を進む。

diary_22040951.jpg

山道をずっと進むと三の丸、二の丸、そして本丸に到着。

石碑や案内板が立てられている以外は何も残っていない。

毛利元就はここを拠点に中国地方を統一していったわけだ。

diary_22040953.jpg

帰りは別ルートで麓へ。

途中で吉田の市街地を眺められる。

diary_22040954.jpg

この展望地の目安は、毛利の家紋が掲げられているところ。

吉田の市街地から確認できる。

diary_22040955.jpg

行きとは違うルートで下りるとあるのが清(すが)神社。

毛利氏が郡山城を拠点にした時からここを祈願社にしていて、毛利氏と縁が深い神社である。

現在の社殿は江戸時代に建てられたもの。

diary_22040956.jpg

清神社は、毛利元就による三本の矢の教えの話が由来となったサンフレッチェ広島の祈願社でもある。

毎年開幕前に必修祈願が行われているそうである。

diary_22040958.jpg

清神社の御朱印は今回は書置きでいただいた。

また博物館で郡山城の御城印も購入。

毛利の家紋が朱印で押されているタイプである。

diary_22040959.jpg

安芸高田市役所前のバス停から広島まで路線バス移動。

日中は1時間に1本の割合で出ている。

diary_22040960.jpg

広電バスの座席は、長距離路線を抱えているからかクオリティが高いような気がする。

また廿日市の速谷神社で全車お祓いを受けているので、運転席後ろにお札が貼られている。

diary_22040961.jpg

バスは安芸高田市内では島根県に注ぐ江の川に沿って進む。

この辺りでは江の川ではなく、可愛(えの)川という名称の方が強い。

diary_22040962.jpg

バスに乗ってから1時間で広島市内には入ったものの北部の可部の三段峡方面との交差点辺りまでしか行けず。交通量も意外と多く、タイムロスがだんだん大きくなる。

diary_22040963.jpg

可部を過ぎて太田川橋を渡るところ。

この辺りは交通量が多くてノロノロ運転に。

さらにこの先は緑井の住宅街を走るルートで細かく停車していき、アストラムラインとの接点の停留所で1時間半経過したので、ここで次の場所の広島城へ向かうために終点のバスセンターまで乗らずにアストラムラインで移動することにした。

 

この後、アストラムラインで城北まで移動してから広島城に行った話です。

 


にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へにほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ

nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。