2020.06.21 三春城・白河小峰城 [国内旅行]
二本松のあじさい寺・高林寺から山の中をくねくね進んだ盆地にある三春町に入ったところから話を進めたい。
三春町の資料館で続100名城のスタンプを押して、車で城跡へ。
資料館から城跡へは坂道を下って、通りに出たところから再び坂道を上がるので、歩きで行くのは大変な場所。本丸近くまで車で上がることができる。
三春城の別名・舞鶴城。
本丸の跡はすっかり更地になっている。
三春城は中世の山城。
麓に三春の街並みが形成されていて、眺めがいい。
何で座る場所が「5」の形をしているのかは分からないが。
本丸の一番高いところ。
「秋田家祖先尊霊」と書かれていて、秋田家は江戸時代中頃から明治維新まで代々三春藩の藩主を務めた家系。三春城は田村氏が1504年に築いて、伊達政宗や蒲生氏郷などが城主を務めた時代を経て最終的に秋田氏に引き継がれている。
戊辰戦争では二本松や会津などで戦乱となったが、三春城は無血開城。しかし、城跡は明治維新の際に払い下げで石垣などまで取り払われて公園になったのが今の姿である。
三春城の御城印は歴史資料館でいただいた。
三春城の後は、石川町と棚倉町の神社を巡って、白河小峰城へ。
カーナビで白河城で検索すると、白河市内の私が思っていたところと違うところにたどり着いてしまうので必ず「小峰城」で検索しましょう。
というわけで、棚倉町の馬場都々古別神社から30分ほどかけて小峰城に到着。
4年ぶり3度目の白河小峰城である。
東日本大震災で石垣が崩れてずっと整備が続いていたが、やっと整備された感じである。
丹羽氏が江戸時代初期に整備して、以後榊原、本多、松平氏など親藩・譜代大名が城主を務める重要な城という位置付けとなり、最後は老中を輩出した阿部氏、明治維新を迎えた時は城主不在で戊辰戦争で焼失という悲しい歴史で終わっている。
この先は一部工事箇所が残っている。
本丸御殿の跡は広場のままである。
三重櫓と前御門が立派に復元されている。
100名城のスタンプは櫓の中で押した。以前は櫓の上の階まで上がれたが、コロナ対策で上の階には上がれないようになっていた。
三重櫓の入口から。
白河駅が目の前に見え、その背後に白河の市街が広がっている。
小峰城の御城印は、広場の売店(二の丸茶屋)で購入した。
三春も白河も今回はお城しか訪れていない。
三春の場合、4月の滝桜が有名なので一度は訪れてみたいし、白河も藩主の家系の入れ替わりが多かった関係で、様々な宗派のお寺が存在する。そんな街をじっくり巡ってみたいのもある。またの機会に訪問することがあることを願ってこのページを締めくくりたい。
次のページで、石川町と棚倉町の神社の話に入ります。