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2020.11.22 名胡桃城・沼田城 [国内旅行]

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岩櫃城に続いてみなかみ町の名胡桃城へ。


案内所に置かれていたキャラクターの通り、名胡桃城も真田氏のお城である。

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2020.11.22 岩櫃城・吾妻神社 [国内旅行]

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榛名湖から山道を通って吾妻地方に入り、最初に向かった先は岩櫃城(いわびつじょう)跡。


駐車場に車を止めて、上り坂を歩いたところに城に関する資料を揃えた案内所がある。


ここ続100名城のスタンプを押したのと、御城印を購入した。


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前日の上田城に続いて、こちらも真田氏が支配していたお城ということで、六文銭が描かれている。


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ここから岩櫃城跡へ。


岩櫃山登山口と書いてある通り、城跡目当ての人よりも登山の格好をした人の方が目立っていたように思える。


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本丸まで15分ほどの山道は歩きやすかったと思う。途中の広いところは中城と呼ばれている。


途中、乾いた落ち葉が多くて滑りそうになったところがあるが、さほど問題なく上ることができた。


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本丸近くからの眺め。


典型的な山城で、木々の隙間から麓を見ることができた。


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そして本丸の中心へ。


ここは南北朝時代に北朝方の吾妻太郎行盛が岩櫃城を支配していたということで最初に名前が出てくるが、後に南朝方の里見氏に攻められて自害し、のちに上杉氏などの支配を経て武田信玄が家臣の真田幸隆に岩櫃城を攻略させて武田氏の支配下に入り、真田氏やその親族がこの地域を治めたという。


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岩櫃城の案内所でポケットティッシュとボールペンをいただいた。


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岩櫃城から次の名胡桃城に向かう途中で中之条町にある吾妻神社に立ち寄った。


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吾妻地方にある代表的な神社で、大和時代から存在するようだが資料が江戸時代に焼失して存在しないらしい。別名「和利宮」(わりのみや)。


御朱印はいただけるとの情報だったが、今回は社務所不在でタイミングが外れてしまった。


 


この後、山を越えて名胡桃城、沼田城へ。


次のページで真田の城めぐりの最終回です。


 



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2020.11.22 妙義神社・榛名神社 [国内旅行]

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旅2日目。朝6時過ぎに起床して、外を見てびっくり。

前夜は暗くて何も見えなかったが、外に朝日を受けた妙義山が目の前にあった。


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2020.11.21 上田城・真田神社 [国内旅行]

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東御市にある道の駅雷電くるみの里を出て上田に向かう。

遠くの山は雪をかぶっているのが見える。

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上田城の北側にある広い駐車場にとめて、歩いて城跡に向かう。

内堀の向こう側は本丸にあたり、角の内側が欠けているように見えるのは鬼門除けのためと言われている。

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二の丸から本丸に入るところに復元された城門。

その両脇の櫓も復元されたもので、中を見ることができる。

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城門前の石垣の中で特に大きな石は真田石と呼ばれている。

真田信之が松代に移封された時に父の形見として持ち出そうとしたが、大きすぎて持ち出せなかったという伝説からそう呼ばれているそうだが、現在の石垣は真田氏の後に入った仙石氏によって整備されたもの。

江戸時代は真田氏の時代よりも次の仙石氏そして松平氏の治世の方が長いのだが、徳川家康を撃退した城ということで真田氏の城という印象が強い。

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城門をくぐって正面に真田神社。

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これからの受験シーズンに合わせて設置されたのだろうか。

何度かこの神社を参拝しているが、これを見たのは初めてである。

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真田と言えば、六文銭の家紋に赤い兜。

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明治維新後に城跡にできた真田神社だが、創建当初は江戸時代中期から上田藩を取り仕切っていた松平氏を祀る神社として松平神社(しょうへいじんじゃ)と称していたという。

しかし、上田城を築いたのは真田氏であり、また上田の発展に寄与した仙石氏も祀るべきではないかという話が起こって、初代城主の名前を冠した真田神社となったのは戦後のことである。

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真田幸村の像もある。

裏手には上田藩の屋敷に通じていたと言われている真田井戸や、奥には西櫓が残されている。

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西櫓付近から上田の街並を撮影。

城ができた当時はこの付近まで千曲川が流れていて、尼ヶ淵と呼ばれている。

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上田城の外側と二の丸の間にかかる橋から。

紅葉のピークは過ぎた感じがあった。

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真田神社の御朱印は複数用意されているほか、季節ごとにデザインが異なるため人気が高い。

上田城の御城印も真田神社で用意されている。

そのため、時期を改めてまた参拝したいとも思っているぐらいだ。

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上田の郊外にもう一つ真田神社があるということで行ってみた。

神社の門柱には山家神社と書かれている。

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山家神社は10世紀の平安時代には既に存在していたという地域の守り神。

社殿の屋根を見ると、左から松平、真田、仙石各氏の家紋が付いていて、歴代の上田城主が大事にしてきたことが窺える。

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山家神社の境内社の一つが真田神社。

こちらは明治時代の創建である。

こちらの社殿の屋根は六文銭のみである。

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お金を並べるところがあり、上田城の真田神社でも見られたもの。

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山家神社で真田神社の御朱印も合わせていただいた。

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車で少し移動した真田氏館の近くにある資料館へ。

閉館間際で早足で資料を見て後にした。

 

この後、宿泊場所の妙義温泉へ。

到着した時は全く外が分からなかったが、翌朝明けてから外を見ると驚きの景色だった。

次のページに書きます。

 


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2020.11.21 小諸城・懐古園 [国内旅行]

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佐久市を出て小諸市に入る。

次の目的地の駐車場前にはSLが保存されていた。

小海線を走っていた機関車だろうか。


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2020.11.21 龍岡城・新海三社神社 [国内旅行]

 3週間ぶりの遠出は高校時代の先輩と1泊2日で城めぐりメインの旅。

 3連休ではあるが、今回は1泊2日にして、残り1日は休養することとした。

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朝5時半過ぎに地元を出発して、2時間後には群馬県の上信越道に入る。

朝から天気がいい。

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8時に横川SAに到着して運転休憩。

朝食に横川駅名物の峠の釜めし。

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長野県との県境のトンネルを抜けると下り坂。

佐久地方の盆地の中に入っていく。

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佐久南インターを下りて一般道を南進。

最初に向かった先は佐久市の南側に位置する龍岡城。

駐車場脇の資料館に城跡の模型が置かれているが、学校の校舎が置かれるなどしてこれは現在の姿である。

しかし、城を取り囲む石垣が函館の五稜郭を思い起こすもので、日本でこの形をしているのはここと函館にしかない。

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当時の建物として残っているのはこの御台所というところ。

お城自体は1864年から建て始められたというぐらい明治維新を迎えるのが近いぐらいの創建である。完成は1867年。城主が大給松平氏で、幕府の要職にもついていたためか、あまり築城に関われないまま明治維新を迎えたようである。そして1873年に取り壊しという城としては歴史が短すぎる。

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城跡は主に小学校として使われている。

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お堀はこんな感じ。まっすぐ伸びてなくて、何度も折れ曲がった状態。

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車で来て折角なので展望台まで行ってみた。

途中の道はちゃんと整備されてない上に狭くて車の行き違いが大変。

そんな中で山の上の駐車場まで車で行き、そこから数分歩いて展望台から城跡を一望してみたが、確かに五稜郭の形が残っていた。

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龍岡城から車で数分山の方に進むとあるのが新海三社神社。

佐久地方の総社を名乗っていて、源頼朝、武田信玄などが参拝している記録が残っているぐらい歴史のある神社である。

御朱印は七五三の時期というのもあってすぐに対応していただけた。前回は不在でいただけなかったので今回は本当に良かった。

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拝殿の裏手に社殿が二つ。西本社と中本社。

東本社だけは別の場所に置かれている。

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三重塔は神仏習合の名残。

1515年に建てられたものだそうで、手前の東本社の社殿と合わせて重要文化財に指定されている。

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三重塔の奥には絹笠神社。

蚕の神が祀られている。

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神楽殿も歴史を感じさせる。

アニメ映画「君の名は。」の監督がこの地方の出身で、映画の中で女の子が儀式を行った神楽殿はこの神社をモデルにしているとも言われている。

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 新海三社神社の御朱印。

前回訪問時は不在でいただけなかったが、今回は七五三などで参拝客が見込まれるからか、すぐに対応していただけた。

 

この後、小諸城に向かいます。

 


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