2019.09.07 埼玉城めぐりと御朱印(2) 忍城と行田市の神社 [国内旅行]
寄居から行田に向かう途中、深谷の道の駅に立ち寄った。
深谷と言えば、深谷ねぎ。もちろん売ってた。
その道の駅で昼食に冷汁うどん。埼玉って、うどんの文化圏だよな。
車は深谷から熊谷市内へ。
行田へ向かう途中にあった佐谷田神社に立ち寄ったが、社務所不在で御朱印をいただけなかった。
そして、行田市のメインである忍(おし)城に到着。
御三階櫓は昭和63年に本丸跡に復元されたもので、博物館に隣接して建てられたものである。
博物館では、古代からの行田の歴史、忍城ができてからの歴史が紹介され、石田三成によって水攻めにされながらも持ちこたえられた話も紹介されている。そして、明治以降に足袋作りで街が活性化した話もここで紹介されている。
続100名城のスタンプもここで押した。
復元された櫓から見た行田の街並み。
お城があった頃は周辺に大きなお堀があって、廃城後も沼地として残っていたが、大部分が埋め立てられて今は市街地になっている。
忍城の博物館から通りを挟んだところに、諏訪神社と東照宮がある。
諏訪神社は、鎌倉時代から存在する神社で、忍城を最初に築いた成田氏によって城鎮守となったという。江戸時代も代々の藩主によって本殿が建てられるなどして、大きくなっていったという。
徳川家康を祀っている東照宮の歴史は浅い。
江戸時代の忍城は、主に松平氏や譜代大名の阿部氏が代々城主を務め、1823年に伊勢桑名から移封となった松平忠堯によって場内に東照宮が建てられたという。
東照宮と諏訪神社の御朱印は、書置きの紙でいただいた。
また、博物館でも忍城の御朱印をいただける。
行田市の中心街にあるのは、行田八幡神社。
忍城を築いた成田氏によって、城下総鎮守の神社という扱いになったが、過去の度重なる街の大火で古い記録が残っていないようである。
境内に「目の神社」が置かれていて、眼病平癒祈願で訪れる人が多いようである。
絵馬にも「め」の字と、それを反転させたものが書かれている。
行田八幡神社では、御朱印を3種類いただけた。
行田の市街を抜けて、埼玉古墳群を通り過ぎたところにある前玉(さきたま)神社へ。
平安時代の延喜式に出ている由緒ある神社。
「埼玉」という地名の発祥と言われる神社で、近くには埼玉古墳群もある。創建は古墳時代に遡るとも言われているぐらい歴史ある神社である。
境内には浅間神社も置かれているが、こちらは忍城から勧請したもので、歴史はさほど古くはないという。
御朱印は境内の2社分いただいた。
この神社にネコちゃんが4匹いるらしいが、暑いからか1匹も見ることができなかった。こりゃ、またの機会にするかな。
最後に、古代蓮の里に行って見たのだが、入場受付は16時までで、中に入ることができず。
展望台に上がりたかったな。
展望台から、田んぼアートを見ることができる。
写真は忍城にある博物館にて撮影した。
いつかは本物を見てたいものである。
これにて、神社参拝のタイムオーバーになり、日帰り名城と御朱印巡りの旅は終了。
欲を言うと、鴻巣まで行ってみたかったが、全然時間が足りなかった。次の御朱印巡りは、鴻巣と行田の一部を回ることにしたいものである。
次のページから、カナダ・モントリオール3泊5日の旅。ポケモンGOのイベント参加を申し込んだので、行ってきました。
2019.09.07 埼玉の城と御朱印めぐり(1) 東松山、嵐山、寄居 [国内旅行]
日帰りで埼玉県内の名城と神社を巡った話を2回に分けて書いていきたい。
移動手段は車。朝6時過ぎに家を出て、外環道、関越道を通って東松山インターで降りた。
東松山インターから数分移動したところにある箭弓稲荷神社から。