2022.01.29 日帰り福島浜通り(4) 南相馬・楢葉の神社 [国内旅行]
福島県の浜通りを最北の新地町から下って相馬市までの神社を巡った話は前のページで書いた通り。
このページでは相馬市からその南にあたる南相馬市に入ったところから話を続けたい。
南相馬市に入って最初に参拝したのは鹿島区にある伊勢大御神(いせおおみかみ)の上社。
少し歩きにくい階段を上ったところに拝殿がある。
神社に置いてあった由緒書きによると、室町時代に伊勢神宮から分霊してこの近くに遷座したのが始まりで、この地には江戸時代に入ってから移ってきたという。
拝殿までの階段の途中にもう一つ拝殿があって、こちらに書置きの御朱印が用意されていた。
上社に続いて下社も参拝。
車で数分の場所にある。
階段の手前右手に宮司さんの御宅があり、そこで御朱印を書いていただいた。
伊勢大御神上社と下社の御朱印。
宮前が上社、水神下が下社。
鹿島区の中心街に入って鹿島御子神社に参拝。
806年創建の神社で、鹿島という地名の通り、鹿島神宮の神様が関係していて、御祭神は鹿島神宮の神様の子と言うことで御子神社。
鹿島御子神社の御朱印。
御朱印をお願いした時に書き手が不在で、少し時間がかかると言うことで、その時間を利用して御朱印帳をお預けして昼食に出かけ、戻ったところで御朱印帳を受領。
お待たせしたお詫びということで、1月開催の火伏祭のお守りまでいただいた。
貴重なものをいただいたので、これは大事にします。
鹿島区から原町区に入り、中心街にある三嶋神社へ。
平安時代前期の坂上田村麻呂の東征の際に勧請して創建と伝えられていて、江戸時代に現在の場所に移ってきたという。
次に向かった先は原町の市街地から少し南に外れたところにある相馬太田神社。
相馬氏が下総からこの地に移ってきた際に妙見堂を建てたのが始まり。前のページの相馬中村神社で見たように、相馬氏の先祖にあたる平将門の妙見信仰を代々引き継いでいる。
相馬氏が中村城に移ってからもこの地に妙見信仰を残し、中村城内にも妙見堂を建てて今の相馬中村神社の礎となっている。
原町区でいただいた神社の御朱印はこの2つ。
相馬太田神社の御朱印は書置きの紙での対応だった。
原町区から南下して小高区へ。
ここにも相馬氏ゆかりの神社がある。相馬小高神社である。
下総から移ってきた相馬氏が、室町時代にこの地に城を築いて太田から移転し、一時期拠点としていたところということで、ここは小高城の跡に建てられたもの。
江戸時代に拠点が中村城に移って小高城は廃城になっている。
御朱印は夕方遅い時間だったためか社務所不在でいただけなかった。
神社巡りで最後に参拝したのは楢葉町の木戸八幡神社。
1186年に当時の領主が宇佐八幡を勧請して創建。
現在の社殿は1665年に建てられたもの。
新旧の狛犬が前後に並んでいるのが印象に残る。
御朱印は遅い時間(ちょうど17時でした)にも関わらず、戸締りしたばかりの社務所を開けていただいて書いていただいた。ご迷惑おかけしました。
こうして今回の福島県の浜通り御朱印巡りはこれにて終了。
どの神社も丁寧に対応していただき、ありがとうございました。