2019.11.04 奈良京都旅4日目(4) 神泉苑から壬生寺まで [国内旅行]
二条城を後にして、壬生方面に歩いて下ることにした。
まず最初に立ち寄ったのが、神泉苑。
見た目、小さな神社集まりのように見えるのだが、神仏習合の影響を残した真言宗の寺院である。
平安京の大内裏に当たるところに位置していて、この辺りは禁苑(天皇のための庭園)で、池には龍神が住むと言われて、過去には空海らが雨乞いの儀式を行ったとされている場所である。
この池の北側に二条城があり、二条城造営の際に神泉苑の一部が二条城に取られてしまい、現在に至っている。
神泉苑では様々な御朱印をいただくことができ、今回はこれらをいただいた。
さらに南下して、武信稲荷神社へ。
イベントが行われていたのか、機材を搬出しようとしていた人がいて、正面から撮ることができなかった。
さほど大きくない神社だが、平清盛が広島の厳島神社から分けた榎の木があったり、坂本龍馬が京都滞在中に、「龍」と彫った木がある(今は跡を確認できない)など、伝説の残る神社である。
また、一寸法師ゆかりの神社でもある。
ここには神社を創建した藤原氏の屋敷、学問所があり、一寸法師はストーリー上ではここの藤原氏に仕えるためにやってきたということになっている。
武信稲荷神社の御朱印。
さらに南下して、壬生の街に入ると、このように新選組に絡むお寺が存在する。
新撰組の旗に誘われて入ったところは八木邸。
ここは隊員の宿泊所となっていたところで、解説員の話を聞くことができるが、この話が内容が濃いのだが、時間がかかるので、夕方で時間が足りない方は避けたほうがいい。
16時半にやっと壬生寺までたどり着いた。
991年に三井寺の僧によって創建されて小三井寺と呼ばれ、火災焼失をへて1259年に再興。
新撰組はここで1863年に結成され、ここには11人が境内の壬生塚に祀られているという。
時間がなくて、本堂に参拝して御朱印をいただいただけで失礼した。
壬生寺でいただいた御朱印はこの3種類だけだった。
荷物を預けているホテルに戻る前に、ホテル近くのポケモンセンターへ。
京都らしいピカチュウである。
17時半を過ぎると外は真っ暗で、京都で撮影した最後の景色は京都駅にて。
これで2年ぶりの京都を締めくくった。
京都は何度行っても回りきれない。
行く度に京都のどの辺りを中心に回るか考えないと、中途半端な旅になってしまう。
次回の京都はいつにしようか。少し考えながら今回の旅を締めくくった。
2019.11.04 奈良京都旅4日目(3) 嵐山経由(車窓のみ)で御金神社・二条城 [国内旅行]
松尾大社前から1時間に1本だけある嵐山経由四条河原町行きのバスに乗車。
阪急嵐山線に沿って進み、阪急の駅の先は渡月橋を渡って嵐山に入る。
バスから見た渡月橋周辺の様子。
時間の都合で嵐山は今回は車窓だけとした。
嵐山の渡月橋をバスで渡った時の車窓を動画でどうぞ。
バスの表示が紅葉バージョンになってるし。
バスに40分近く乗って、二条城前で下車。
ただし、二条城には直接向かわずに、まずは近くの御金神社へ。
参拝待ちの列が外にまでできていて、警備員が付いているほどだった。
金色の鳥居だなんて、今年の夏に岐阜で見た金(こがね)神社以来である。
境内は本当に狭いのだが、掛けてある絵馬が掛けきれないぐらい掛けてあって、金運の願掛けする人が多いこと。私も早く大金手にして住宅ローン完済したいというのがある。
御金神社の御朱印は書置きの紙でいただいた。
金運にあやかりたい。
そして、世界遺産の二条城へ。
1603年に徳川家康が上洛の際に宿泊する場所として建てたのが始まりで、以来江戸幕府の京都での拠点的な役割を果たし、15代将軍の徳川慶喜が大政奉還を表明したのもこの場所である。
二の丸御殿は現在も内部撮影禁止。
二の丸御殿の裏にある庭園もしっかりしている。日本各地で見られる小堀遠州によるもの。
本丸の天守台から本丸御殿を見るが、今も修繕が行われている。
明治に入ってから、京都御所の北東部にあった桂宮御殿を移築したものだという。
庭園は元々は枯山水だったのが、明治天皇の行幸の際に現在の形に作り変えられたという。
本丸の石垣はしっかりとした形をしている。奥の少し高いところが天守閣跡。
二条城の北側の庭園は昭和の時代に整備されたところ。
最後に休憩所で日本100名城のスタンプを押し、御城印を2種類購入して二条城を後にした。
この後、夕方の京都を二条城から壬生まで歩いて旅を締めくくります。
2019.11.04 奈良京都旅4日目(1) 梅宮大社 ネコと御朱印 [国内旅行]
旅4日目は終日京都で締めくくる。
8時過ぎに四条烏丸にあるホテルを出て、洛西バスターミナル行きのバスに乗って向かった先は梅宮大社。バス停も梅宮大社前。松尾橋行き、嵐山行きも通ります。