2019.01.13 愛媛城巡り2日目(2) 大山祇神社・能島城 [国内旅行]
ここからはしまなみ海道の旅。
今治から来島海峡大橋を北上する。
この辺りの「動物注意」はイノシシになるんだな。
大島から伯方島に向かう大島大橋。
左側が歩行者、自転車の通路になっている。
一度はしまなみ海道を自転車で渡ってみたい。
大三島のインターで降りた。
吊り橋の向こう側は生口島で広島県になる。
まさにここは愛媛県の北の端である。
大三島にある大山祇神社に到着。
左の門柱に「大日本総鎮守」と書いてあり、このじんじゃの権威の大きさを感じる。
伊予国一宮でもあり、延喜式にも載る古くからの神社でもある。
神門の両端に置かれている像が、他の神社のものと異なって、武神が置かれている。
御神木が立派。樹齢2600年とされ、神武天皇東征前ということになる。
初詣の時期と重なり、参拝の長い列が続く。
神仏習合の名残で、このような塔も残っている。
鎌倉時代に時宗を開いた一遍上人によって奉納されたもの。
資料館は必見。
平安時代からの宝物が展示されていて、それぞれの時代に活躍した武将らが大山祇神社に参拝して戦勝祈願に様々なものを奉納していたのがよくわかる。
大山祇神社の御朱印。
大山祇神社の近くに広い食事処があったので、そこで昼食。
鯛めし定食を選んだ。
大三島から次は今治へ戻る途中の大島を目指す。
向かった先は、宮窪町の村上水軍博物館。
続100名城に指定されている能島城は吊り橋の手前の小さな島にあったそうで、普段なら観光船で渡れるそうなのだが、現在運休中。資料館で村上水軍についての展示を見て、続100名城のスタンプを押して、資料館を後にした。戦国時代に瀬戸内海を制した水軍の拠点がこんなところにあったわけだ。
愛媛県を代表するゆるキャラのバリィさんもみきゃんも水軍の兵士に扮していた。
来島海峡の橋を渡って再び四国の本土側へ。
こう眺めていると、四国も広いものである。
この後、16時過ぎて今治城へ。
続きは次のページで書きます。
2019.01.13 愛媛城巡り2日目(1) 内子経由で今治まで [国内旅行]
愛媛旅2日目は、肱川上流にある温泉からスタート。
9時頃チェックアウトし、途中まで肱川に沿って進む。
途中に八大龍王神社の鳥居があったが、新興宗教感が漂っていたので、そのまま通過。
本当のところはどうだったのだろうか。
2019.01.12 愛媛城巡り1日目(3) 河後森城 [国内旅行]
宇和島を離れて次の場所に向かう。
南予も頑張ってますとのこと。
だったら、みきゃんじゃなくて、にゃんよ使えばいいのに。
宇和島から30分近く車を走らせて松野町の河後森城の駐車場に到着。
ここから歩いて本郭を目指す。
山の尾根に沿って曲輪が広がっていたようである。
曲輪に向かって山道を登る。
井戸の跡も残っている。
一番左端の曲輪に小屋があって、ここに続100名城のスタンプが置かれている。
案内板の手作り感に温かみを感じる。
本郭に向かって曲輪沿いの階段を上がる。
あちこちに曲輪や堀切が残されている。
本郭に到着。
ここに主殿舎と台所があったとされ、1600年頃には天守もあったらしく、その天守は更に宇和島城に移築されたという説もあるという。
河後森城は、戦国時代は長宗我部氏の支配下の時期があり、後に四国を平定した小早川氏などの所領になるなど、領主が何度も変わり、1615年の一国一城令で廃城になったとされる。
本郭から松野町松丸の街並みを眺める。
ここは典型的な山城。麓の人々の生活の様子がよく見える。
河後森城の後に、麓の街並みの中にある松丸駅へ。
駅前に足湯があって、ここで休憩。
地方の小さな街の駅前である。
宇和島側から新幹線が入ってきた(笑)
数分後に来た逆方向の列車は通常のデザインだった。
予土線は2-3時間に1本しかない超閑散路線。そんな中で、上下1本ずつ見ることができたのはラッキーかも。
この後は、鬼北町を経由して肱川の上流にある温泉に宿泊して1日目終了。
翌2日目は愛媛県の最北を目指します。
2019.01.12 愛媛城巡り1日目(2) 宇和島城・和霊神社 [国内旅行]
大洲から卯之町の道の駅を経由して、宇和島の街に入ってきた。
右手の山の上に宇和島城の天守閣が見える。
中心街に近い方側の駐車場に車を止め、桑折長屋門から入って本丸を目指す。
本丸までずっと石段が続き、途中所々に石垣が残されている。
井戸丸に残された井戸。
石垣の向こうに天守閣が見えてきた。
1601年に藤堂高虎が建てたものを1666年に仙台から移封してきた伊達氏によって今の形に建て替えられ、明治維新の廃城令もすり抜けた現存12天守の一つである。
天守閣から宇和島の街を眺める。
海と山に囲まれて、城山の周辺に街が広がっている。
江戸時代の宇和島城はこんな感じだったのだろうか。
場内に展示されていた墨絵もまた素晴らしかった。
宇和島を離れる前に和霊神社に立ち寄った。
仙台から宇和島に伊達家が別れた際に同行した家老・山家清兵衛を祀っている。1653年創建。
社殿は太平洋戦争の空襲で焼けて、戦後に再建されたものである。
将棋の駒と獅子の頭。
和霊神社の御朱印。
この時点で午後3時を過ぎており、この日はもう1ヶ所お城に行かなければならないということで、宇和島の街はこれにて終了で次の場所に向かった。
次また宇和島滞在の機会があれば、1泊はして街中をゆっくり回りたいものである。
2019.01.12 愛媛城巡り1日目(1) 大洲城 [国内旅行]
今回から9回の予定で愛媛県の名城めぐり、一部御朱印巡りの話に入ります。
高校時代の先輩と一緒に巡るのは去年の夏以来だろうか。日帰りで沼津の興国寺城まで行って以来である。
今回は成田空港を7時45分に出発するジェットスターを利用して松山入り。
この時間の飛行機に乗るために、自宅を朝4時半に出発して、相方を途中で拾って、成田空港近くの駐車場に車を預けるという普段にないルートで成田空港入りした。
LCCなので事前に座席指定せず、3列席の真ん中に当たったので、車窓の写真全く撮れず。だが、幸いなのか外の天気はずっと曇り空で離陸後から着陸前まで真下は真っ白な景色しか見られなかった。
少し遅れて松山に到着。
レンタカーを借りていざ南予へ。
ずっと高速道路を走るが、霧はかかってるし、雨は降ってるし、最悪な気象環境。
松山空港から1時間ちょっとで大洲城に到着。
相変わらずの雨模様。
天守閣は2002年に復元されたもの。
内部は大洲城と城下町の歴史を紹介している。
江戸時代は6万石の城下町で、当初は脇坂氏が藩主を2代務め、その後は米子藩から加藤氏が入封して13代続いて明治維新を迎えている。
なお、このような城郭にしたのは1995年から城主だった藤堂高虎と言われている。
天守閣から大洲の市街地。
すぐそばを肱川(ひじかわ)が流れていて、ちょうどアンパンマンキャラが描かれた特急が通過していった。
映画「男はつらいよ」のロケ地にもなったそうだ。
大洲城でも御朱印を始めたということで、購入をしたら、私と相方が購入第1号になった。
ところがだ。このサイズは大きすぎる!! 隣に神社用の御朱印帳を並べたが、大きすぎるのがお分かりだろう。もしかしたらお遍路さんの巡礼に使う納経帳がこのサイズなのかもしれないが、日本全国で一般的にお城の御朱印と言えば、神社の御朱印帳と同じサイズである。
この件は大洲城のスタッフさんにもお話しした。
この後、大洲市内にある重要文化財に指定されている如法寺へ。
ところが建物の中に入れず、誰もおらずということで、外観を見ただけですぐ後にした。残念。
仏殿の中を見たかったな。
次の宇和島へ向かう途中、卯之町にある道の駅どんぶり館に立ち寄った。
豪華に刺身と天ぷらの定食を食べた。これで1280円。満足の味である。
時間があれば、大洲の古い街並みを歩いてまわったり、大洲神社などにも行ってみたかったが、この後行くところもあったので、大洲はここまで。この後、宇和島城を目指します。
2019.03.02 東京深川御朱印めぐり [国内旅行]
お台場から乗ったバスは40分かけて門前仲町に到着。
豊洲を経由するので、意外と時間がかかった。
ここからは神社寺院の御朱印の話。
門前仲町と言えば、まずは深川不動堂。
参道にはお店が並び、煎餅などの和菓子がたくさん売られていて、ついつい買いたくなる。
参道の途中にある永代寺というお寺にも立ち寄った。
参道の突き当たりに深川不動堂。
成田山の別院にあたり、元禄16年開創ということで、江戸時代中期からの歴史がある。
成田山の御本尊を江戸で特別拝観したのが始まりだそうだ。
正面の古い建物は旧本堂で、関東大震災や空襲で焼けて印旛沼近くのお寺から移築したもの。
左隣の角ばった真新しい建物の方が現在の本堂。壁一面梵字で埋め尽くされている。
深川不動堂から富岡八幡宮へ。
神社を西側から入った。
1627年の創建ということで、深川不動堂よりも歴史が古い。
徳川将軍家の崇敬を受けて発展してきた過去があるが、最近起こった事件は何とも残念でならない。
富岡八幡宮から永代通りに向かう参道の途中に伊能忠敬像。
伊能忠敬は全国測量の前にここで旅の安全祈願をして出発したという。
深川不動堂と永代寺の御朱印。
富岡八幡宮野御朱印。近くのお寺では300円だったが、ここは500円。
富岡八幡宮を出て、近くのバス停から住吉駅経由錦糸町駅行きのバスに乗って移動。
猿江二丁目で下車して向かった先は、猿江神社。
2018年正月以来の参拝で、時期に応じて様々なデザインを出しているようである。そのためか、御朱印をお願いするのに前に5人ほど待っていて、それぞれに丁寧に対応していたため時間がかかった。御朱印いただけるのに、この時は20分近く待っただろうか。
住吉駅前から森下駅前までバスで移動して次に向かったのは深川神明宮。
慶長年間(江戸幕府ができた前後)に摂津国(大阪)から深川八右衛門らがこの地に移って開拓を始め、名字から深川という地名になったという。神明宮を置いたのもこの人。それ以来の歴史がある神社で、深川発祥の地である。
猿江神社、深川神明宮でいただいた御朱印。
深川の御朱印巡りは時間の関係でこれにて終了。
この日は、この後に所用で新宿に出かけるなどしたが、午前中の品川台場と言い、内容の濃い1日だった。
2019.03.02 品川台場 [国内旅行]
1月の3連休に愛媛県をめぐり、2月の3連休には長崎県を巡ったが、3月初頭に都心の城と寺社を巡った話を先に紹介します。
久しぶりにバスの1日乗車券で廻る旅。
都営バスの1日乗車券は、1人500円。1乗車現金210円(ICカードで206円)。3回乗れば元が取れるので、1日で都区内を2箇所以上廻る場合にはおすすめである。
スタートは亀戸駅通り。最初に乗るバスは錦糸町駅から出ているが、千葉方面から総武線に乗ってくると、亀戸駅から乗るのが近道である。
亀戸駅の南にある明治通り沿いのバス停「亀戸駅通り」からスタートで、乗るバスは急行・日本科学未来館行き。土日祝日しか運行がなく、運行がある日でも1時間に数本しかないため、事前に時間の確認が必要である。
午前9時前に出発して、明治通りを南進する。国際展示場(ビッグサイト)やお台場に向かう人が多く乗っていて、新木場駅に着いたところで満員、国際展示場やパレットタウンでほとんど下車して、私はその先の船の科学館駅で下車。亀戸駅通りから40分ほど乗った。
船の科学館。
今回、お台場に向かった目的と違うので中に入らなかったが、日本財団が運営していて、南極探査船などが置かれているという。
船の科学館の近くにある潮風公園に続100名城のスタンプが置かれているとガイドブックに書いてあって来たのだが、設置場所が見当たらない。どこだ? と思って、ネットで検索してみたら、潮風公園には置いてなくて、今はお台場海浜公園の案内所にあるとのこと。
右手にフジテレビの本社を見ながら移動する。
お台場の自由の女神前にて。
これから向かうところは、自由の女神の台座の真後ろにある島のようになっているところ。
めざましテレビで見ている景色を久しぶりに生で見た。
この近くに案内所があって、ここで続100名城「品川台場」のスタンプを押した。
更に進むと砂浜になる。
上津島から運ばれた砂が使われているという。
河津桜も満開で、春が近づいていることを感じる。
品川台場の中に入ってみる。
1854年にペリーの黒船来航が発端で築かれた要塞の跡である。
真ん中が窪地になっていて、その中心に陣屋が置かれていたそうである。
その周りに弾薬庫跡などが残っている。
昭和2年8月建設 東京市の石柱。
台場を公園として整備したのは昭和に入って間もないときのことである。
目の前に同じように島が見えるが、中に入ることができない。
手前にかまど跡。
砲台跡はレプリカ。
これがフジテレビにストレートで向いていたら面白いのだが(爆)
こうして、お台場海浜公園から台場公園まで往復してお台場を後にした。
ここが続100名城に指定されていなかったら、ここは訪問することはなかなか無かったと思う。
都心に江戸城ではない城跡。城巡りをしている人にオススメの場所である。
この後、バスで門前仲町へ。お台場から門前仲町へは土曜の昼間は10分間隔で出ている。
御朱印めぐりに話が変わります。
2019.01.27 東京神社巡り 大崎から三軒茶屋まで [国内旅行]
今回は主に御朱印を複数いただける神社巡り。
言い方が悪いかもしれないが、東京都内用に使用している御朱印帳が後ろの途中まで埋まっているので、今回で埋めてみたかったというのがある。
東京23区の神社は、自家用車を使わないで電車とバスと徒歩で行けるのがいい。移動手段もとてもエコである。まずは、山手線の大崎駅から歩いて数分の居木神社。
2019.01.06 京成線沿線で初詣御朱印 [国内旅行]
今更ながら初詣の話。
スリランカへの年末年始の旅行から戻ったのは1月6日の朝こと。荷物を整理して、風呂に入ってすぐに日本国内での初詣へ外出。
家を出て、最初のお寺に向かう途中、ネコちゃんとカラスが近づいてる姿を見かけた。
今年も時々ネコ画像載せます。