2022.02.11 冬の上川旅1日目(1) ロコンジェット・鬼滅の刃じぇっと壱 [国内旅行]
2月の3連休の話。
元々は秋田の冬景色を見る予定だったが、色々な事情があって出発の数日前に北海道行きに変更した。コロナで外国から観光客来ないし、ホテルも空いているので、変更もすんなりだった。
今回は往復の飛行機にこだわることにした。
出発2時間前の羽田空港第2ターミナルの展望デッキから。
2022.01.29 日帰り福島浜通り(4) 南相馬・楢葉の神社 [国内旅行]
福島県の浜通りを最北の新地町から下って相馬市までの神社を巡った話は前のページで書いた通り。
このページでは相馬市からその南にあたる南相馬市に入ったところから話を続けたい。
南相馬市に入って最初に参拝したのは鹿島区にある伊勢大御神(いせおおみかみ)の上社。
少し歩きにくい階段を上ったところに拝殿がある。
神社に置いてあった由緒書きによると、室町時代に伊勢神宮から分霊してこの近くに遷座したのが始まりで、この地には江戸時代に入ってから移ってきたという。
拝殿までの階段の途中にもう一つ拝殿があって、こちらに書置きの御朱印が用意されていた。
上社に続いて下社も参拝。
車で数分の場所にある。
階段の手前右手に宮司さんの御宅があり、そこで御朱印を書いていただいた。
伊勢大御神上社と下社の御朱印。
宮前が上社、水神下が下社。
鹿島区の中心街に入って鹿島御子神社に参拝。
806年創建の神社で、鹿島という地名の通り、鹿島神宮の神様が関係していて、御祭神は鹿島神宮の神様の子と言うことで御子神社。
鹿島御子神社の御朱印。
御朱印をお願いした時に書き手が不在で、少し時間がかかると言うことで、その時間を利用して御朱印帳をお預けして昼食に出かけ、戻ったところで御朱印帳を受領。
お待たせしたお詫びということで、1月開催の火伏祭のお守りまでいただいた。
貴重なものをいただいたので、これは大事にします。
鹿島区から原町区に入り、中心街にある三嶋神社へ。
平安時代前期の坂上田村麻呂の東征の際に勧請して創建と伝えられていて、江戸時代に現在の場所に移ってきたという。
次に向かった先は原町の市街地から少し南に外れたところにある相馬太田神社。
相馬氏が下総からこの地に移ってきた際に妙見堂を建てたのが始まり。前のページの相馬中村神社で見たように、相馬氏の先祖にあたる平将門の妙見信仰を代々引き継いでいる。
相馬氏が中村城に移ってからもこの地に妙見信仰を残し、中村城内にも妙見堂を建てて今の相馬中村神社の礎となっている。
原町区でいただいた神社の御朱印はこの2つ。
相馬太田神社の御朱印は書置きの紙での対応だった。
原町区から南下して小高区へ。
ここにも相馬氏ゆかりの神社がある。相馬小高神社である。
下総から移ってきた相馬氏が、室町時代にこの地に城を築いて太田から移転し、一時期拠点としていたところということで、ここは小高城の跡に建てられたもの。
江戸時代に拠点が中村城に移って小高城は廃城になっている。
御朱印は夕方遅い時間だったためか社務所不在でいただけなかった。
神社巡りで最後に参拝したのは楢葉町の木戸八幡神社。
1186年に当時の領主が宇佐八幡を勧請して創建。
現在の社殿は1665年に建てられたもの。
新旧の狛犬が前後に並んでいるのが印象に残る。
御朱印は遅い時間(ちょうど17時でした)にも関わらず、戸締りしたばかりの社務所を開けていただいて書いていただいた。ご迷惑おかけしました。
こうして今回の福島県の浜通り御朱印巡りはこれにて終了。
どの神社も丁寧に対応していただき、ありがとうございました。
2022.01.29 日帰り福島浜通り(3) 新地・相馬の神社 [国内旅行]
ポケふた巡りをメインとした今回の福島県の浜通りの日帰り旅は、ついでにいつもの御朱印巡りも。
浪江のラッキー公園から今回の旅をスタートさせて、次に向かったところは浜通り最北の新地町。
内陸の駒ヶ嶺にある子眉嶺神社(こびみねじんじゃ)から。
2022.01.29 日帰り福島浜通り(2) ぽけふた 新地町から川内村まで [国内旅行]
福島県の浜通りにあるポケモンのマンホール(ポケふた)を巡る旅。浪江町のマンホールに行った話は1つ前のページで。
浪江町から福島県の浜通り最北に位置する新地町へ。
新地町のポケふたはJR常磐線の新地駅前にある。
東日本大震災の時は駅に止まっていた電車が津波で流されたが、乗客は運転手と車掌の誘導で避難して全員助かったと聞く。
この辺りは東日本大震災の津波を教訓に土地が嵩上げされ区画も再整備されている。
新地町のポケふたには、ポケモンGOのポケストップが2つ付いている。
新地町から南下して相馬市へ。
到着した場所は尾浜こども公園。
真新しい大きな遊具が設置された公園である。
「ポケふた」設置しました の案内。
公園内の遊歩道沿いにポケふたが設置されていた。
ポニータが選ばれているところが、相馬という街らしい。
相馬市から南下して南相馬市へ。
道の駅南相馬の敷地内に南相馬市のポケふたが設置されていた。
南相馬は野馬追発祥の地ということからか、相馬市はポニータだったが、ここは進化系のギャロップが使われていた。
道の駅の隣は高見公園。
相馬市の尾浜こども公園と同様に東日本大震災後に整備された感じの公園であるが、元々はここに高さ200mの無線塔があったところである。
無線塔についての説明が公園内にあった。
大正時代に建てられて、アメリカ本土まで届く無線の力で関東大震災の状況を伝えるのにも活用されたという。昭和の初めに使われなくなり長く残っていたが、1983年に解体されたという。
日が暮れてから楢葉町へ。
楢葉町にある道の駅でもポケふたを確認した。
ラビフットを採用しているのは、楢葉町内にJヴィレッジがあることが関連する。
最後に楢葉町から川内村まで行ってみた。
富岡町まで一旦北上して戻り、そこから内陸の山道を進むが、街灯がなくてハードなドライブだった。
コンビニと食堂が一緒になったところに川内村のポケふたがあり、現物を確認。
あ、写真に収めるのを忘れてしまった(汗)
この日のポケふた巡りは、神社御朱印巡りも兼ねていて、丸一日がかりになってしまった。
川内村から自宅のある千葉県に戻ろうとしてナビの設定をしたら、富岡町に一旦戻ると出たので、いわき市に向かう国道399号線の方がいいのでは?と勝手に判断して、これが大誤算。
道幅狭いし、カーブ多いし、アップダウン激しいし、街灯なくてずっとハイビームだし、それに路肩に雪が残ってるし。ノーマルタイヤだったので常磐道のインターまで恐怖の1時間だった。
カーナビの言うことは知らない場所では信用した方がいいと改めて感じた。
福島県のポケふたは残り3ヶ所(いわき市、田村市、川俣町)。また日を改めて訪問しようと思う。
2022.01.29 日帰り福島浜通り(1) 浪江のラッキー公園・浪江駅 [国内旅行]
本来ならこの週末は大阪に行く予定で、行ったことのないUSJにも行く予定だった。
しかし、ここ最近のコロナ変異株の流行があり、感染防止で5月以降に延期することを決めたのが1週間前のことである。
急に予定が空いてしまって何をしようか考えていたら、福島県にあるポケふた(ポケモンのマンホール)巡りを思いついた。更には福島県内の浪江町にはポケモンの特定のキャラをテーマにした公演ができたとも聞き、見に行くことも思いついた。
ただ、昼間は家族連れでそれなりに混むことが予想されるので、明るい時間かつ人があまりいない時間に行ったほうがいいと考え、日の出直後に浪江に到着するプランでコースを練って実行に移した。
朝4時に起床して、4時15分自宅出発。
当然、外は真っ暗。車通りもほとんどない。
外環道と常磐道を自分のペースで走ることができて、夜明け前に北茨城市にある中郷SAでトイレ休憩。
フードコートは朝8時からオープンということで、朝食にありつけず、トイレを済ませて缶コーヒーを購入しただけで最初の目的地の浪江に向かった。
目的地の駐車場は道の駅なみえ。
自宅を出発して3時間ちょっとの7時半に到着。
ここは24時間車を停めることができる。
ミラー越しにポケモンの福島県のキャラに認定されているラッキーの遊具が見えた。
ラッキー公園と名付けられている。
看板に6種類のポケモンの名前が出ている。
伊藤園の自販機もラッキーが描かれている。
朝日を浴びるラッキー。
手前にピィ(左)とププリン(右)。
ピンプクも公園にいた。
手前のピンプクはポケモンGO使用時に登場させたもの。
右の舌が長いキャラはベロリンガ。
手前のベンチにはピカチュウもいる。
分かりにくいかもだが、ブランコにキャモメがいる。
大きなラッキーの裏側。
滑り台になっているが、何だか雑に見える。
このようにそれぞれの遊具がポケストップになっているので、ギフトを獲得してフレンドに送ると良い。
ラッキー公園から道の駅の建物を挟んで反対側にラッキーのポケふた(ポケモンのマンホール)
ここも必見だが、マンホールにはラッキーしか描かれていない。
ラッキー公園とマンホールのギフトを2個ずつ獲得してフレンドに送った後、次の場所に向かった。
道の駅の後に向かったのは浪江駅。
道の駅から1.2kmほどの場所にある。
送迎程度の短い時間なら駅前に車を停めることができる。
まさか無人駅とは思わなかった。
東京と仙台を結ぶ特急電車も3往復停まるぐらいなのに。
特急に乗るときは指定席券売機を使用することになる。
ここの部屋は必見だ。
ガラスケースの中にポケモンの1番から順番に468番までが展示されていた。
ただし、後半は実物がないキャラもあり、取り寄せが必要。
ガラスケースの上に何故にポケモンなのかの答えがあった。
原作の作者のお父様が浪江の出身で、作者本人もこの街で昆虫や生き物と触れ合った経験を生かしてポケモンの世界を作り上げて行ったという。
次のページで、周辺の街のポケふた巡りの話を書きます。
2022.01.10 鹿児島旅3日目(3) 鹿児島から帰る [国内旅行]
鹿児島を離れる前に、五代友厚にご挨拶。
3日間良い鹿児島旅でした。
五代友厚像の近くの横断歩道から。
桜島がよく見えた。
15時過ぎに鹿児島中央駅から空港行きのバスに乗車。
最初は山の中を通って全然見えなかった桜島が、途中からしばらく横に見えた。
鹿児島空港に到着。
この時間は色々な行き先が集中しているようで、保安検査場が混雑していた。
県内の離島行きの飛行機が出ているところも鹿児島らしい。
南国名産ボンタンアメを色々なところへのお土産に購入。
2機並んでいる全日空機のうち、左側が羽田行き。
遠くに霧島連山。
夕日を浴びた霧島連山を見ながら鹿児島を後にした。
機内では鬼滅の刃を見て過ごした。
鬼滅のデザインの飛行機が登場することになっているので、見てみたいし乗ってみたいものである。
こうして3日間の鹿児島旅を終えて無事羽田に戻ってきた。
改めて思うが、鹿児島県は鹿児島以外行ったことがないところばかりで、大隅半島や奄美などの離島に今も全然行けていない。どこかでまた機会を作って行ってみたいものである。
2022.01.10 鹿児島旅3日目(2) 鹿児島五社巡り [国内旅行]
かごしまシティビューのバスで次に下車したところは石橋記念公園。
江戸時代に架けられた石橋をこの公園周辺にいくつか移転させて憩いの場にしている。
桜島との組み合わせも良い。
公園そばの山の上には東郷平八郎像。
近くまで行ってご挨拶できず申し訳ない。
ここからは鹿児島五社を巡った話にはいる。
石橋記念公園のそばにある八坂神社へ。
京都の八坂神社から勧請したもので、鹿児島の祇園祭はここが執り行うものである。
次に向かったのは春日神社。
今回参拝した五社の中で一番こじんまりとしていて、社務所もない神社だが、歴史は五社の中では一番古いそうである。1000年以上前の島津氏の時代以前の創建とのこと。
次に向かったのは若宮神社。
1356年(室町時代)創建の神社。
社殿の古い感じと赤く塗られている組み合わせが不思議な感じがする。
あ、こんなところにネコちゃん(^^)
境内の小さな神社にもネコちゃん。
こりゃ猫神様かと思ってしまう。
少し上り坂を上って南方神社へ。
諏訪神社の神様を祀っている神社である。
社殿はシンプルな作り。
社務所もなくここでは御朱印を頂けなかった。
上り坂を少し上って下り坂を進んだ谷間にあるのが5社目の稲荷神社。
狛犬ではなく、紅白の狐が置かれている。
朝鮮出兵で功を挙げたのは赤狐・白狐という伝説があり、稲荷神社を信仰していた島津家の影響を受けている神社である。この地に稲荷神社を遷したのは朝鮮出兵の島津義弘の2代前の島津貴久。
今回の鹿児島五社巡りで頂いた御朱印はこの3種類。
全てそれぞれの神社で書いていただいた。
この後、鹿児島を離れて羽田に戻ります。
2022.01.10 鹿児島旅3日目(1) 城山展望台、仙巌園 [国内旅行]
鹿児島旅3日目の朝食。
ここのホテルの朝食は鹿児島の食材を使った料理アイテムが多くて、朝からたっぷり食べたくなる内容。
旅行中は昼食を摂らないことがよくあるので、今回もそれを覚悟で。