2022.05.01 南紀・三重旅3日目(2) 名松線 伊勢奥津からの旅 [国内旅行]
伊勢奥津駅から津市が運営しているコミュニティバスに乗り換え。
GW期間中はこれから向かう北畠神社と道の駅美杉まで列車の時間に合わせて臨時のバスが出ているのがありがたい。料金は200円。
臨時のバスがない時期は、駅に隣接した観光案内所で自転車を借りることもできるので、そちらを利用するのもいいと思う。
バスに15分ほど乗って終点の北畠神社で下車。
江戸時代に建武の新政の時代に活躍した北畠氏の末裔が興した神社で、北畠親房らを祀っている。
この一帯に北畠氏の館や庭園があり、日本続100名城にも認定されている。
続100名城のスタンプは北畠神社の社務所でいただいた。
神社の境内に北畠顕家の像が置かれている。
中世で最古の石垣があったとされている北畠氏館の跡。
北畠神社で御朱印と御城印をいただいた。
北畠神社から道の駅まで10分ほど歩いて移動する。
途中、山の谷間に鯉のぼりが掲げられていた。
次のバスの時間まで道の駅美杉で休憩。
大規模な道の駅ではなくさほど人もいなくてのんびり休むことができた。
バスで伊勢奥津駅まで戻ってきた。
給水塔に草が絡みついて時代を感じさせる。
昔はもっと賑わっている感があった伊勢奥津駅。
11時30分に伊勢奥津を出発する列車で松阪へ。
次の停車駅・比津までの車窓を動画で。
雨が激しく降って見苦しいところがあるのはお許しを。
伊勢竹原から家城までの車窓を動画で。
家城駅周辺は少し開けた感じ。
家城で行きの列車に乗ってたと思われる部活通いの高校生が多く乗り込んできた。
一志から終点の松阪までは軒並みこんな車窓。
伊勢奥津から1時間半近い12時54分に松阪に到着して名将線での往復の旅は終了した。
で、松阪駅の改札を出ようとしたところで気づいたのだが、名松線の帰りの車両に乗った時に整理券を取るのを忘れてしまった。駅の改札口で駅員にその旨を申告したら了解してくれて、通常の運賃を現金で支払ってなんとか済ますことができた。ローカル線に乗ったら整理券取る必要があるか要確認である。
この後、松阪城とその周辺の神社巡り。
次のページで書きます。
2022.04.30 南紀・三重旅2日目(2) 紀勢線の旅 新宮から松阪まで [国内旅行]
レンタカーを返却して、新宮から松阪まで鉄道の旅の話に入る。
新宮駅のみどりの窓口が知らない間に閉鎖されてて、みどりの券売機で切符を購入する。
1台しか置かれていなくて、まごついている人がいると時間がかかってしょうがない。こういうの本当に困るよな。
2022.04.29 南紀・三重旅1日目(3) 赤木城・丸山千枚田 [国内旅行]
鬼ヶ城から内陸の紀和町へ車で30分ほどかけて移動。
ここにはかつて銅山があり、1978年まで採掘が行われていたとのこと。
資料館に立ち寄った目的は、ここに続100名城の赤木城のスタンプが設置されていると思ったのだが、近くの道の駅に変更になったとのこと。
近くの道の駅も元々は採掘した銅の選鉱場だったところ。
ここで赤木城のスタンプを押して、情報収集して出発。
カーナビに従って進んで行ったけど、かなり入り組んだところまで行ったような気がする。
駐車場から本丸までは長い上り道だがすぐに到着できる。
あっという間に赤木城の本丸に辿り着いた。
豊臣秀吉の時代に紀伊の国主だった豊臣秀長の家臣の藤堂高虎によって築かれたという。
今回の旅行で伊賀上野城や津城にも行くが、これらも藤堂高虎によるものである。
本丸からの眺めは見事。
近くには棚田の丸山千枚田があるなどこの辺りは元々は農村地帯。
農民一揆を抑える目的で築かれたとされていて、江戸時代以降は明確な話はないがそのまま役割を終えているようである。
赤木城の御城印は道の駅で購入した。
そして丸山千枚田。赤木城から車で10分ほどの移動距離にある。
私の地元千葉県にも大山千枚田という棚田の風景が美しいところがあるが、こちらもまた素晴らしい景色。
1601年頃にはすでにこのような形だったという。
こうなったら、真夏の緑一色の景色や秋の稲刈り前後の景色も見てみたいものである。
1日目の宿泊は熊野川を越えて和歌山県側にある湯ノ峰温泉。
山に挟まれた狭い道沿いに温泉宿が何軒も並ぶところである。
路線バスなんとかギリギリ進むところ。
履いている靴の浸水が酷くて、温泉街を歩くのは翌朝にすることにした。
次のページから2日目に入ります。
2022.04.29 南紀・三重旅1日目(2) 阿須賀神社から鬼ヶ城まで [国内旅行]
名古屋からの特急列車を新宮で降りて、ここからはレンタカーでの移動になる。
まず最初に向かったのは、新宮駅から車で数分の阿須賀神社。
孝昭天皇という第5代天皇の時代創建となっていて、かなり古い時代から存在することになる。
熊野の神様を祀っていて、熊野詣のルートにあるため、世界遺産の熊野古道の構成に入っている。
東京北区の飛鳥山はこの神社が由来とのこと。
阿須賀神社でいただいた御朱印。
古代文字の限定御朱印がいくつか用意されていて、そのうちの1種類を今回選んだ。
また、新宮城の御朱印も阿須賀神社でいただけるが、新宮城へはこの時土砂降りで歩きにくい状態だったので翌日行くことにした。
次に向かった先は熊野速玉大社。
土砂降りの中、参道を進む。
熊野三社の一つで、熊野詣で欠かせない場所の一つである。
近くの神倉神社が熊野の神様が最初に降りた場所とされ、後に3つの神社に祀られるようになったという。
熊野速玉大社で神倉神社の御朱印もいただいた。
熊野速玉大社から熊野川を渡って三重県に入り、次に向かった先は花窟(はなのいわや)神社。
森の中の参道を通り抜けると建物にたどり着くが、参拝する場所はさらに進んだところにある。
社務所はこの建物の中。
神社に必ずある社殿が存在しない珍しいタイプの神社である。
玉垣で囲まれた拝所の後ろに高さ45メートルの岩壁。
ここも世界遺産・熊野古道の構成の一つとなっている。
花窟神社の御朱印。
書いていただいたものは6年前に参拝した時とあまり変わらないが、朱印のデザインが若干変わったような気がする。見開きは今回初めていただいた。
次に向かった先は、花窟神社から海岸線に沿って北に数キロ進んだ鬼ヶ城。
海に面した遊歩道を歩いたが、とにかく土砂降りで、あちこちで小さな滝ができていた上に水溜りがずっと続いている状態で靴が浸水してしまった。
鬼ヶ城は熊野灘の波の侵食などで出来上がった景色が続くところである。
この先もしばらくこのような景色を見ながら進むことができるが、土砂降りで濡れるだけだったので今回はこれ以上進むのを断念した。
鬼ヶ城にも御城印が用意されていたので購入した。
熊野市のポケふた(ポケモンのマンホール)が鬼ヶ城の遊歩道に設置されると聞いていたが、訪問時点ではまだ設置の工事すらも行われていなかった。またどこかで熊野詣をすると思うので、その時には見てみようと思う。
この後、内陸の紀和町の城跡に行き、泊まりは和歌山県側に入って湯ノ峰温泉へ。
続きは次のページで書きます。
2022.04.29 南紀・三重旅1日目(1) 東京から新宮へ [国内旅行]
GWの泊まりがけでの旅行は3年ぶりである。去年は日帰りで県内に1日だけ出かけただけで、その前の年はどこにも行けなかった。その前はスペインのバルセロナから地中海沿いに東に進んでイタリアのローマまで鉄道の旅。
それ以前のGW休暇はずっと海外がメインで、国内に泊まりで出かけたのは6年ぶりである。
というわけで、東京駅を朝7時ちょうどに出発する新幹線に乗車。
この日は新幹線で移動中はずっと曇り空で富士山を見ることができなかった。
8時半過ぎに名古屋に到着して、紀伊勝浦行きの特急南紀に乗り換え。
時刻表上では2両編成と聞いていたが、GWの多客期ということもあってか4両編成で入線していた。
名古屋を8時51分に出発。
動画は次の八田を通過するまで。
今回乗った特急列車は臨時列車ということもあってか、名古屋を出発しても特急らしい速い走り方をせず、単線区間が多くて途中の駅で乗降扱いはせずに対抗列車の待ち合わせが続く。
動画は弥富と長島の間にある信号場から桑名まで。
これで最初に木曽川を渡り、次に長良川と木曽川を続けて渡る。
ワインレッドの養老鉄道の車両が止まっているのを見たら桑名に到着。
三重県に入りました。
四日市から鈴鹿までの車窓を動画で。
四日市周辺の工業地帯を抜けると郊外の住宅街、そしてJRの関西本線から外れて伊勢鉄道線に入ると周囲は水田地帯を走り抜けて鈴鹿へ。
運転停車の河芸から津までの車窓を動画で。
この辺りはずっと水田地帯が続いて三重県の米どころ。
津と松阪の間も途中はこんな景色。
松阪を出ると次の多気までもこんな感じ。
段々天気が怪しくなってくる。
多気から山がちな景色の区間に入るが、この辺りから雨が降り出して車窓もきれいに撮れない。
多気の次は三瀬谷に停車。
三瀬谷を過ぎて山を一つ越えると伊勢から紀伊に入る。紀伊長島、尾鷲、熊野市と停車するが、車窓はこんな感じで全然楽しめないぐらい外は大雨の様子だった。
名古屋を出発して3時間半以上経過した12時半に到着した。
雨さえ降らなければ山の中の区間についても色々書けたのかもしれないけど、写真もまともに撮れず車窓を楽しめなかった。
帰りも同じ区間を通って戻るので、その時の天気に期待したいところである。
この後、レンタカーを借りて神社巡りです。