2019.05.25 真夏の十勝旅1日目(4) 上士幌市街から三股まで [国内旅行]
足寄から西に進むと上士幌に入り、市街に入る手前にある上士幌神社へ。
ここも上士幌の街を一望できるところにある。
前回2017年10月に参拝した際は、社務所不在で御朱印をいただけなかったが、今回はありがたくいただくことができた。
上士幌神社の御朱印。
上士幌の市街まで出て、進路を北に変更。
そのまましばらく進むと山の中に入り、坂道とトンネルが続く。
その途中に、廃線になったアーチ橋がそのまま残されているところがある。
ここは、第三音更川橋梁で、1936年に架けられたもの。
また、別のところにはこのように途中で切れてしまった橋も残っている。
こうして上士幌の市街から30分以上かけて走って、糠平の温泉街に17時過ぎに到着。
荷物を整理して、更に北の方に車を走らせてみた。
最終的に、十勝三股駅があったところまで車で行った。
ここはかつて、帯広から延びていた国鉄士幌線の終点だったところである。
林業で栄えた街だったが、林業が衰退して、当時の建物が残っているだけ。その建物も倒壊の危険があって近づくこともできない。
かつて十勝三股駅があったあたりは何もなく、この先に2世帯がカフェや民宿を営業しているだけだという。路線バスも帯広と旭川を結ぶ長距離バスが1往復停車するだけという不便な場所である。
第五音更川橋梁。
幌加と十勝三股の間にあって、1938年の完成。ただ、1978年の終わりに代行バスに代わって「休止」扱いになり、以後列車は走らないまま廃線になっている。よって、2019年で列車が走っていた時期よりも廃線で列車が走っていない時期の方が長くなってしまった。
糠平に戻る途中の駐車場に車を止めて、森の中の遊歩道を歩いて進むことにした。
1978年に休止、1987年に廃止となった士幌線の跡を通り過ぎる。
途中、ガサガサッと音がしたので、その先を見てみたら、大きなエゾシカがいた。
歩くこと数分で目的地の展望台に着いた。
遠くに、今回の旅の目的地であるタウシュベツ川橋梁が見える。
前回はここにダムの水がたっぷり張られていたが、この時期はスッカラカンな状態。
翌日、橋のそばまで行くので詳細は次のページで。
展望台から駐車場までの帰り、士幌線の跡地でエゾシカ5頭の集団を見た。
別に襲ってくる様子もなく、相手もこちらから近づかないかじっと見ている様子だった。
三の沢橋梁も士幌線の橋梁だったところ。現在は人が渡れるように整備されている。
先ほど紹介した第三、第五音更川橋梁は、橋として残っているが、渡ることはできない。
こうして18時過ぎに糠平の温泉宿に戻っておかずたっぷりの夕食。
宿のご主人に、私が2007年にも来ていることを話すと、覚えてくれていたのが嬉しかった。
糠平の夜はひっそりと静まり返っていた。
エゾシカが温泉街に当たり前のように来るそうです。
翌朝は、タシュベツ川橋梁見学ツアーに参加します。
2019.05.25 真夏の十勝旅1日目(3) 本別・足寄 [国内旅行]
池田からは、北見に向けてかつて通っていた鉄道線に沿って移動。
途中でしっかりとした建物の駅が残っていたので立ち寄ってみた。
本別町にある勇足(ゆうたり)駅の駅舎で、建てられた当時から現在もコミュニティセンターとして使われている。
駅舎の裏側を見てびっくり。
ホームと線路の段差はなくなって盛り土がされ、ゴルフのショートコースとして使われていた。
本別町にある本別神社に参拝。
本別の街を一望できる少し高いところにある神社である。
明治時代に開拓が始まって、大正時代に正式に創立。
御朱印は、書き手の方が作業中で手を止められない状態だったので、書き置きの紙でいただいた。
本別神社の書き置きの紙による御朱印。
本別駅は跨線橋とレールの一部が残されていて、道の駅の一部になっていた。
本別は十勝平野の北側に位置していて、畑作と酪農が中心。長持ちする小豆をお土産に購入した。
本別からさらに北上して、足寄(あしょろ)町へ。
中心街のはずれにあり、ここも階段を上がって小高いところにある。
社務所が階段を上がる手前にあって、御朱印をお願いしたら、やっていないとのこと。ネットで画像検索したら出てくるので、どこかでやめてしまったのだろうか。
足寄駅の跡に建てられた銀河ホール21。
道の駅を兼ねている。
建物の入口に、足寄出身の歌手・松山千春の歌碑が置かれている。
手を当てると、松山千春の歌に合わせて音楽が流れる。
15時を過ぎてやっとここで昼食にありつけた。
道の駅にあった食堂で豚丼の定食。
道の駅の建物に入っている松山千春のコーナー。
こう見ると、いろいろな曲出してるんだな。
入口の石碑の顔と別人のように見えるが、同一人物である。
こんな写真も。
現在の足寄町の観光案内パンフレットにもこの写真が使われている。
松山千春よりも背が高いふきは足寄の名物。
足寄の市街地を回っていると、松山千春の若い時と最近の肖像画が掲げられた場所がある。
ここは、松山千春の実家だったところ。
銀河ホールの隣に足寄駅の駅舎が残されている。
何に使われているのかと思いきや、足型工房だそうで。
こんなところでも松山千春を宣伝に使っている。
足寄を離れて次の場所へ。
かつての鉄道が廃止されて、池田からは路線バスが陸別まで走っている。
この後、峠を越えて足寄の西に位置する上士幌町へ。
続きは次のページに入ります。
2019.05.25 真夏の十勝旅1日目(1) 羽田から帯広までの車窓 [国内旅行]
ヨーロッパ旅行記が終わったので、国内旅行の話に入ります。
2017年10月以来の十勝へ。この時もそうだったが、ダム湖に沈んだタウシュベツ橋梁がこの時期はどのような姿をしているのかが見たくて、2ヶ月前に飛行機と宿を確保した。
6時55分発の帯広行きAIR DOで出発。
前回4月の秋田行き同様に羽田空港までは自家用車で行った。
AIR DOに乗るのも、前回の十勝旅行以来である。
帯広以外の区間でAIR DOを利用したことがない。
今回もまたバス移動で飛行機に乗った。
1つ心配なのが、北海道は基本的に東京と比べて気温が低いはずなのに、翌日の予想最高気温が36度。5月でこんな気温の北海道に行くことになってしまった。
羽田空港を南から北に離陸し、東に旋回して東京湾を進む。
幕張メッセ、ZOZOマリンが見えているところで北に旋回。
船橋競馬場と谷津干潟が見える。
松戸と柏の境目辺りだろうか。
滑走路が見えるのは自衛隊の下総基地。
茨城県に入り、霞ヶ浦辺りと思われる。
車窓を楽しみながらジュース1杯。
福島県上空だろうか。大きな川が海に向かって流れているように見えるので、阿武隈川ということになるだろうか。
宮城県に入り、松島付近と思われる。
左側に滑走路が見えるので、松島の自衛隊だろう。
南三陸の海岸沿いを進んで、太平洋側に抜けた。
着陸の数分前に北海道の大地に上陸。
少しして、サーキット場のそばを通過。
8時半過ぎに帯広空港に到着。
1時間半のフライトはあっという間で、今回は天気が良くて車窓もよく見ることができた。
帯広の空港の中からドラマ「なつぞら」の世界。
今後、十勝のあちこちでこのようなポスターを目にします。
この後、レンタカー借りて十勝の神社巡り。
続きは次のページで書きます。
2019.05.19 静岡の城・御朱印めぐり2日目(1) 掛川城 [国内旅行]
静岡の城と御朱印めぐり2日目の朝は、掛川からスタート。
午前9時前にホテルをチェックアウトして、大手門をくぐってまずは掛川城を目指す。
2013年9月1日以来の訪問なので、およそ6年ぶりである。
山内一豊像。
豊臣秀吉による天下統一後に、徳川家康が関東に移転したのを機に山内一豊が掛川に入り、この地に初めて天守閣を構えたという。
天守閣の最上階から見た市街の眺め。
まずは泊まったホテルの方角から。
カメラを少し右に向けたら、ちょうど新幹線が通過したところだった。
掛川には、こだま号しか停まらず、通過するのばかり。
東の方角には正面に御殿。二の丸に建てられた江戸時代後期の建物。
山内家の家紋が掲げられていた。
大企業グループ・三菱のスリーダイヤモンドの商標の由来の一つとされている。
へぇ~と思う内容。
秀吉は小柄で、家康は身長の割にデブということになるのか。
引き続き掛川城の御殿へ。
日本100名城のスタンプは御殿でいただき、登城記念の御朱印も用意されていた。
御殿は藩の公式式典の場、藩主の公邸、藩の政務が執り行われたところ。
幕末の安政大地震の後に再建されたのが現在の建物で、明治維新後は市役所や農協などとして使われてきたという。
掛川城の後は、車で数分の龍尾(たつお)神社へ。
創建年不明だが、鎌倉時代には存在していたようで、戦国時代は徳川家康が掛川城に籠城する今川氏真を攻めるために、この神社に本陣を構えたこともあったという。
神社敷設の梅林にも行ってみた。
隙間からかすかに掛川城の天守が見える。
梅林の中に開運神社。
今後の開運を願って、神社を後にした。
龍尾神社では梅林にある開運神社の御朱印もいただけた。
どちらもじんじゃを詠んだ和歌入りである。
この後、井伊谷と浜松城へ。
次のページで書きます。
2019.05.18 静岡の城・御朱印めぐり1日目(2) 駿府城・静岡浅間神社 [国内旅行]
久能山東照宮の後は、静岡浅間神社へ。
楼門は残念ながら修理中。
立派な拝殿の神社である。
境内にいくつもある神社のうち、神部神社・浅間神社の社殿が一番大きい。
境内には7つも神社があるという。
城めぐりも今回の旅のテーマになっているので、今回まわったのは他に大歳御祖神社と八千戈神社のみ。
静岡浅間神社の御朱印。
以前は大歳御祖神社の御朱印をその神社の社務所でいただけるようになっていたが、今は静岡浅間神社で他の境内社のものと一緒にいただけるようになっていた。
次回参拝の折には、すべての神社をまわって、その神社の御朱印をいただこうと思う。
神社の後は駿府城へ。北東側から中に入った。
お堀の内側は駿府城公園で、市民の憩いの場。
正面の高い建物は静岡県庁。
東御門と巽櫓が復元されていて、中を見ることができる。
日本100名城のスタンプは、入口の入場料を払うところで押した。
今川義元から徳川家康の時代までの駿府城の様子を知ることができる。
芝生で葵の紋が作られている。
その先には鷹狩りの徳川家康像。
徳川家康像の奥では、天守台の発掘調査が行われていた。
もしかして、将来は天守閣の復元もあるのだろうか。
この後、静岡からさらに西へと向かい、茶畑が広がる牧之原へ。
続きは次のページで。
2019.05.18 静岡の城・御朱印めぐり1日目(1) 久能山東照宮 [国内旅行]
今回から5回の予定で、静岡中西部の名城と御朱印めぐりの話に入ります。
久しぶりに高校時代の先輩と城めぐりをすることになった。静岡東部も1年前に同じ人とめぐっているので、今回は静岡の残り西側をめぐる形になる。
静岡のお城は、徳川家康が絡んでいるところが多い。果たして、どのくらい徳川家康に挨拶できるだろうか。
朝6時に自宅を出発して、ほとんど渋滞なく東名高速を進み、足柄SAで朝食休憩をとってさらに西に進む。天気良さそうに見えるが、富士山は完全に雲が被った状態で全く見ることができなかった。